彦右衛門
「それ、次は水の手を撮れ!」
章之進
「承知!」

<稲葉山城(岐阜城)の井戸 金銘水>
二の丸の西に位置する井戸で金銘水と呼ばれる。稲葉山城のある金華山は岩の塊でできており、湧き水もなく、籠城の際に水の確保が困難であった。そこで岩を掘削し、雨水や岩から僅かにしみ出す水を溜める井戸をつくっていた。井戸はこの他にも二の丸の周囲に3カ所、計4カ所存在するらしい。
義左衛門
「どうやら斎藤龍興は逃げ出したようですぞ。」
彦右衛門
「なんと逃げ足の早い。ならば、後はゆっくりと城内を攻め撮るかのう。にゃははは。」
章之進
「お、立派な櫓ですぞ。」
義左衛門
「これは資料館じゃな。現代に建てられたもので、昔の様子そのままというわけではないようでござる。」

<岐阜城資料館>
岐阜城天守閣から東の一帯は、二十間(36メートル)×六間(10・8メートル)の郭(くるわ)となっており、武器庫、兵糧蔵が建っていたと考えられている。その場所には、現在、隅櫓形式の資料館が建設されており、岐阜城の歴史を学ぶことができるよう資料や漫画などが展示されている。
彦右衛門
「さあ、それではお待ちかねの天守閣へレッツゴー!」
章之進
「南蛮人ですか………。」
義左衛門
「お、城内より火の手が上がりましたぞ。ん、あれに見ゆるは章之進。ひょうたんを振りかざしておりますな。」
彦右衛門
「城内も混乱しておる様子。一気になだれこめ!」

上格子門を通過すると、幅三間(5・4メートル)、長さ三十間(54メートル)の平坦な郭(くるわ)が現れる。岐阜城(稲葉山城)に詰めていた将兵の馬を繋いでいた場所、あるいは乗馬の訓練をしていた場所とされる。一説には、馬場ではなく矢場、即ち弓の訓練をした場所とも言われる。
彦右衛門
「お、章之進。ようやった。」
章之進
「ささっ、次は二の丸門を攻め撮りましょう。」

本丸の南西に位置し、本丸を防御する二の丸へ至る門があった場所。慶長5年(1600年)8月23日、関ヶ原前哨戦となった岐阜城攻略戦において、ここ二の丸を巡り激しい戦闘が行われた。戦闘中、城内の煙硝蔵に火が回り大爆発。濃尾平野一帯に岐阜城の落城を知らせることとなった。
義左衛門
「さあ、いよいよ天守閣が見えてきましたぞ。」

章之進
「ぜは〜、ぜは〜、お、あれに見えるは薪小屋。早速、火を放ってと………。よし、合図じゃ!」


永禄十年(1567年)8月14日、地元の猟師・堀尾茂助の案内で、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が、岩戸口から蜂須賀小六ら10名にも充たない人数で稲葉山城に潜入した。薪小屋に火を放ち城内をかく乱した後、ここ天狗岩の上にて、後に馬印となるひょうたんを槍先に掲げ、潜入成功の勝鬨をあげたという。難攻不落の稲葉山城を落城に導く大手柄であった。
彦右衛門
「さて、山上まで攻め上がらねばならんが、天下に名だたる山城じゃ。どのように攻め撮るかのう。」
義左衛門
「別働隊を組織し、裏道より城内に忍び込ませ、合図と共に内と外から一斉攻撃するのが上策でしょう。」
彦右衛門
「となると、章之進じゃな。」
章之進
「そうくると思いましたよ。はいはい、やりゃいいんでしょ。」
彦右衛門
「では、本隊はろーぷうぇーにて山上まで行き、章之進の合図があるまで待機。」
章之進
「え、拙者だけ歩いて登れってか?」
義左衛門
「はい、これが地図ね。迷子にならないように。ほら、ヒョウタンの水筒に水を入れてあげたから、うまく潜入できたらこれを振って合図ね。」

稲葉山城(岐阜城)の天守閣がある山頂には、複数のハイキングコースが通っている。時間があれば、登ってみるのもよい。山頂には西山麓からロープウェーが通っており、食堂もある。
章之進
「ぜは〜、ぜは〜、何でいつも拙者だけ………。」
彦右衛門
「さて、ここはどこじゃな?」
義左衛門
「『天下第一の門』とありますな。でも、この冠木門は後世の作。信長の偉業を称え記念に建てたもののようですぞ。」
彦右衛門
「じゃ、関係ないのね。では、もそっと兵を進めよう。」

彦右衛門
「おっと、厄介そうな難所が見えてきたぞ。」
義左衛門
「上格子門ですな。抵抗が激しそうですぞ。ここで章之進からの合図を待ちましょう。」

上格子門(あげこうしもん)跡。城下の大手門から七曲道と呼ばれる急な坂道を登ってくると、この門に着く。左手は切り立った崖、右手に岩塊があり、頂には七間櫓が築かれていた。本丸へ至る道の途中に天然の地形を生かして作られた要害で、慶長5年(1600年)8月23日、関ヶ原合戦の前哨戦において、東軍・福島正則の兵と岐阜城主・織田秀信の兵がこの地を巡り激しく争った。
彦右衛門
「それ、お次は城主の居館を攻め撮るのじゃ。」





岐阜城のある金華山の西麓には、織田信長の居館跡が残っている。戦国大名に相応しい豪壮な石垣の跡も残り、往時を偲ばせる。信長時代には山頂の天守閣の他、山麓の居館も高層の建物で構成されていた。下は、信長時代の岐阜城の様子。

義左衛門
「さすがは北から西に長良川、南に木曽川、さらに西に揖斐川を抑え、南には広大な濃尾平野をにらむ要衝。繁栄振りも一筋縄ではありませんな。ここを撮れば、いよいよ天下も見えてくると申すもの。」
彦右衛門
「城主の龍興は、既に山頂に逃げ失せたか。」
章之進
「では、すぐに攻め立てましょう!」





