日本の城  日本の城
日本の城を写真にて攻め撮るのでござる。おかしな物語と共にいざゆかん戦国無双の城撮り名人の道!
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岐阜天守閣
岐阜天守閣近景

<岐阜城天守閣>

 残念ながら外観のみの復元であり、中は通常のビルと同じ。岐阜城にまつわるものが展示されている。最上階からの展望は絶景。信長が稲葉山城を落とした後、岐阜と改名し「天下布武」の印を使い始めたことも納得がいく。また、周りの地形を見渡せば、この城を落とすのに10年もの歳月がかかった理由も理解できる。今まで訪ねた中では最高の山城だと実感。


彦右衛門
「ほっほう~、いい感じじゃのう。」


義左衛門
「では、早速登ってみることに致しましょう。」


岐阜櫓

天守閣より蔵のあった曲輪を望む



岐阜城より南

天守閣より南に広がる濃尾平野を望む


岐阜城より東

天守閣より東方を望む(川は長良川)



岐阜城より西

天守閣より西方を望む

 長良川の流れが、岐阜城の東から北を通過し、西をぐるりと回って南へ向かっている。南方には木曽川が流れ、長良川と合流する。岐阜城が、大河と急峻で頑強な岩山を利用した天然の要塞であることが分かる。



彦右衛門
「どら、最近覚えたお絵描きツールで、頭の悪い章之進にも分かるように地形を説明してやろうかのう。」


章之進
「頭の悪いは余計ですよ。ついでに、この幼稚園児並みの絵は何ですの?」


幸之助
「その言い方は、幼稚園の良い子たちに失礼なんダニ。」


彦右衛門
「がっはっはっは。いや~、天下とったね、俺。」


義左衛門
「なんて小ちゃな天下なんだ………。」


彦右衛門
「これより稲葉山城を改名し、岐阜城と致す。今後も天下の城を攻め撮ってくれる。」


章之進
「あの~、威勢がいいのはいいんすけど、そんなに時間がないのでわ?」


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彦右衛門
「それ、次は水の手を撮れ!」


章之進
「承知!」


岐阜井戸


<稲葉山城(岐阜城)の井戸 金銘水>

 二の丸の西に位置する井戸で金銘水と呼ばれる。稲葉山城のある金華山は岩の塊でできており、湧き水もなく、籠城の際に水の確保が困難であった。そこで岩を掘削し、雨水や岩から僅かにしみ出す水を溜める井戸をつくっていた。井戸はこの他にも二の丸の周囲に3カ所、計4カ所存在するらしい。







義左衛門
「どうやら斎藤龍興は逃げ出したようですぞ。」


彦右衛門
「なんと逃げ足の早い。ならば、後はゆっくりと城内を攻め撮るかのう。にゃははは。」


章之進
「お、立派な櫓ですぞ。」


義左衛門
「これは資料館じゃな。現代に建てられたもので、昔の様子そのままというわけではないようでござる。」


岐阜城櫓

<岐阜城資料館>

 岐阜城天守閣から東の一帯は、二十間(36メートル)×六間(10・8メートル)の郭(くるわ)となっており、武器庫、兵糧蔵が建っていたと考えられている。その場所には、現在、隅櫓形式の資料館が建設されており、岐阜城の歴史を学ぶことができるよう資料や漫画などが展示されている。


彦右衛門
「さあ、それではお待ちかねの天守閣へレッツゴー!」


章之進
「南蛮人ですか………。」


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義左衛門
「お、城内より火の手が上がりましたぞ。ん、あれに見ゆるは章之進。ひょうたんを振りかざしておりますな。」


彦右衛門
「城内も混乱しておる様子。一気になだれこめ!」


馬場跡

馬場跡

 上格子門を通過すると、幅三間(5・4メートル)、長さ三十間(54メートル)の平坦な郭(くるわ)が現れる。岐阜城(稲葉山城)に詰めていた将兵の馬を繋いでいた場所、あるいは乗馬の訓練をしていた場所とされる。一説には、馬場ではなく矢場、即ち弓の訓練をした場所とも言われる。







彦右衛門
「お、章之進。ようやった。」


章之進
「ささっ、次は二の丸門を攻め撮りましょう。」


二の門

二の丸門跡

 本丸の南西に位置し、本丸を防御する二の丸へ至る門があった場所。慶長5年(1600年)8月23日、関ヶ原前哨戦となった岐阜城攻略戦において、ここ二の丸を巡り激しい戦闘が行われた。戦闘中、城内の煙硝蔵に火が回り大爆発。濃尾平野一帯に岐阜城の落城を知らせることとなった。







義左衛門
「さあ、いよいよ天守閣が見えてきましたぞ。」


二の丸より本丸

二の丸より天守閣を望む



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章之進
「ぜは~、ぜは~、お、あれに見えるは薪小屋。早速、火を放ってと………。よし、合図じゃ!」


藤吉郎ひょうたん

ほこら

天狗岩と祠



 永禄十年(1567年)8月14日、地元の猟師・堀尾茂助の案内で、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が、岩戸口から蜂須賀小六ら10名にも充たない人数で稲葉山城に潜入した。薪小屋に火を放ち城内をかく乱した後、ここ天狗岩の上にて、後に馬印となるひょうたんを槍先に掲げ、潜入成功の勝鬨をあげたという。難攻不落の稲葉山城を落城に導く大手柄であった。


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彦右衛門
「さて、山上まで攻め上がらねばならんが、天下に名だたる山城じゃ。どのように攻め撮るかのう。」


義左衛門
「別働隊を組織し、裏道より城内に忍び込ませ、合図と共に内と外から一斉攻撃するのが上策でしょう。」


彦右衛門
「となると、章之進じゃな。」


章之進
「そうくると思いましたよ。はいはい、やりゃいいんでしょ。」


彦右衛門
「では、本隊はろーぷうぇーにて山上まで行き、章之進の合図があるまで待機。」


章之進
「え、拙者だけ歩いて登れってか?」


義左衛門
「はい、これが地図ね。迷子にならないように。ほら、ヒョウタンの水筒に水を入れてあげたから、うまく潜入できたらこれを振って合図ね。」


金華山地図

 稲葉山城(岐阜城)の天守閣がある山頂には、複数のハイキングコースが通っている。時間があれば、登ってみるのもよい。山頂には西山麓からロープウェーが通っており、食堂もある。


章之進
「ぜは~、ぜは~、何でいつも拙者だけ………。」







彦右衛門
「さて、ここはどこじゃな?」


義左衛門
「『天下第一の門』とありますな。でも、この冠木門は後世の作。信長の偉業を称え記念に建てたもののようですぞ。」


彦右衛門
「じゃ、関係ないのね。では、もそっと兵を進めよう。」


天下一の門

天下第一の門



彦右衛門
「おっと、厄介そうな難所が見えてきたぞ。」


義左衛門
「上格子門ですな。抵抗が激しそうですぞ。ここで章之進からの合図を待ちましょう。」


表門

 上格子門(あげこうしもん)跡。城下の大手門から七曲道と呼ばれる急な坂道を登ってくると、この門に着く。左手は切り立った崖、右手に岩塊があり、頂には七間櫓が築かれていた。本丸へ至る道の途中に天然の地形を生かして作られた要害で、慶長5年(1600年)8月23日、関ヶ原合戦の前哨戦において、東軍・福島正則の兵と岐阜城主・織田秀信の兵がこの地を巡り激しく争った。


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