<一乗谷館と一乗谷城>
一乗谷の城下町は、福井市街の東南約10キロに位置する谷間にあります。戦国時代、朝倉氏の居館として103年に渡る栄華の中心となりました。最盛期には1万3千人の人々が暮していたといいます。
朝倉氏は兵庫県養父郡の豪族で、ここ一乗谷の初代、孝景が応仁の乱(1467〜1477)で文明3年(1471)に西軍から東軍に寝返り、この地に居城を移したと言われています。
以後、2代の氏景のときまで、主家である越前守護、斯波氏や守護代の甲斐氏との抗争を繰り返し、3代の貞景が永正3年(1506)の加賀一向一揆を撃退したことで越前一国の支配権を固めました。
この2代氏景の弟が、名将として名高く朝倉氏の中興を支えた朝倉教景(宗滴)です。
4代孝景の時代には、近江、美濃へも出兵し、戦乱で荒れ果てた京や奈良の公家、僧侶が下向してくるのを庇護しました。
こうして北陸や畿内の重要拠点を抑え繁栄を極めた朝倉氏でしたが、5代義景に至り名将朝倉宗滴も逝去してから陰りが見え始めます。
義景は将軍足利義昭を迎えるも、上洛をせずに織田信長の許へ逃げ去られます。
織田信長はその後、足利義昭を奉じて上洛。勢力を増す織田氏と朝倉氏は次第に険悪になっていき、元亀元年(1570)、姉川の戦いで激突します。
朝倉氏は朝倉景健を総大将として、近江の浅井氏と連合して、織田・徳川連合軍と対峙しました。なぜか当主の朝倉義景は出陣していません。
この姉川の戦いで徳川軍と戦った朝倉勢は、徳川方の榊原康政に横槍を入れられ、崩れたって完敗。鬼真柄と呼ばれた勇士・真柄直隆などの武将を失いました。
朝倉氏はその後、義景自ら出陣したり、比叡山延暦寺と連携したりすることによって、織田方を脅かします。
しかし、織田方の調略により家臣の前波吉継(まえばよしつぐ)が離反。天正元年(1573)には、織田信長の近江侵攻に対し、同盟相手の浅井氏を救援にいこうとしますが、重臣の朝倉景鏡、魚住景固に出陣を拒否されます。
悲壮な覚悟で2万の兵を率いて出陣した義景でしたが、この間にも織田方の調略の手が伸び、浅井氏の武将が離反。北近江で朝倉氏の前線基地となっていた大嶽城・丁野城も織田方の猛攻で落とされてしまいます。
これを見た朝倉軍は意気消沈し撤退を開始します。しかし、織田軍はこの機を逃さず追撃を開始。刀根坂で朝倉軍に追いつき、逃げる朝倉軍と激戦が展開されました。この刀根坂の戦いで朝倉軍は3千人の兵を討ち取られ、名のある武将も次々と討死を遂げました。この時、信長に美濃を追われ、朝倉家に身を寄せていた斉藤龍興も討死しています。
命からがら一乗谷に逃げ延びた義景でしたが、切腹を押しとどめ再起を図ろうとの朝倉景鏡の勧めで、その領地・大野に母親の光徳院、愛妻の小少将、愛息の愛王丸と共に落ち延びました。
こうして主を失った一乗谷は、住民達も我先にと逃げ出し廃墟となりました。織田軍は朝倉氏を殲滅すべく、無人と化した一乗谷へ派兵し火を放って焼き払いました。火は三日三晩に渡って燃え続けたといいます。
現在の一乗谷朝倉氏遺跡はこの後、400年以上もそっくり埋もれてきた戦国時代の城下町を発掘、整備しています。一乗谷を中心に2キロ四方くらいの規模を特別史跡に指定し、現在も発掘が進められています。
大野に逃げ延びた義景でしたが、肝心の朝倉景鏡が変心して逆に200の兵を持って義景の居所、六坊賢松寺を囲みます。
命運の尽きたことを悟った義景は、もはやこれまでと自刃しました。享年41歳。
辞世、「七転八倒 四十年中 無他無目 四大本空」
この時、愛王丸や小少将、光徳院は捕らわれの身となりました。
義景自刃の後、朝倉景鏡は義景の首を差し出し信長に降伏。朝倉景健を始めとする朝倉氏の一族と重臣の多くもこれに習い、信長は越前一国を掌中に収めました。
また、愛王丸 、小少将、光徳院は信長の命令で処刑されました。ここに朝倉本家の血筋は途絶え、朝倉氏は滅亡の憂き目を見ることとなったのです。
章之進
「ゼハーゼハー!死に物狂いで逃げ出して来ましたが、一乗谷は火の海ですぞ!」
彦右衛門
「今回もまた労多くして、得るものなしだったのう。」
俊丸
そしらぬ顔で、
「まあまあ、皆命が助かっただけでも良かったデブ。」
幸之助
「その通りダニ。しかし、このような奸計を用いるとは、朝倉義景め、放っておくわけにはいかぬダニ。」
義左衛門
「うむ、そのことじゃが、朝倉景鏡は一門衆にもかかわらず、義景の煮え切らぬ采配振りに愛想をつかしておるようじゃ。俊丸の情報によれば、景鏡が自分の領地に義景をかくまっておるとのこと。寝返りをもちかけてみれば面白うござる。」
彦右衛門
「では早速俊丸に動いてもらうことに致そう。」
俊丸
「了解デブ!」
(うーん、拙者の失火で思わぬことになったデブ。ま、いっか!)
数日後、
俊丸
「朝倉景鏡殿を寝返らせることに成功したデブ!ついでに、景鏡殿の手勢と共に朝倉義景の居所へ行き、自撮させたデブ!」
義左衛門
「おお、でかした!これで越前はひとまず安泰にござりまするな。」
彦右衛門
「うむ、しかし100年に渡る栄華も滅びれば一瞬の事じゃのう。我らも人ごとではないぞ。」
幸之助
「確かに、その通りダニ。しかし、栄えればやがて滅びる。いつまでも良い時は続かないんダニ。我らもゆっくりと領土を拡張して、ゆっくりと治めていけばいいんダニ。」
章之進
「良き事はかたつむりの速度で進む、でござるな。」
俊丸
「お、章之進殿がまともな事を言ったデブ!でも、その格言は天竺のガンジーさんじゃないデブか。」
彦右衛門
「どこもかしこも、しっちゃかめっちゃか……。」
義左衛門
「まあまあ、これからはあっちゃこっちゃしますから、もっともっとしっちゃかめっちゃかですぞ。」
彦右衛門
「そりゃそうだね。日本全国のお城の攻め撮りを大目標にしてるんだからねぇ。しかし、物語にするのが大変だぞ。」
幸之助
「それは彦右衛門様のお仕事ダニから、我々は関知しないダニ。そんな内情は隠しておくダニ。武士は食わねど高楊枝、外は虎の皮、内は犬の皮ダニ。」
俊丸
「今度は武士道の『葉隠』デブか。今回は皆の空っぽの教養から、これしかないというものを聞いてるようデブ。」
章之進・幸之助
「空っぽなのは、お前の頭じゃ!今回の火事、お主のおらぬ間に調べてみたら、お主の寝所から火が出ておるではないか!」
俊丸
「げ、ばれてたデブ〜!」
義左衛門
「あ、また逃げ出した。我々も撤収いたしましょう!」
彦右衛門
「よし、皆の者、撤収じゃ!!」
義左衛門
「さあ、着きましたぞ。早速攻め撮って参りましょう。まずは朝倉義景の居館前の広場ですな。」

真ん中に立つ木の手前が柳の馬場、その向こう側、唐門の前が犬の馬場である。朝倉館の周辺には一族の居館もあり、一乗谷の中枢部である。
章之進
「ほほう、広い馬場ですな。出陣前の閲兵などに使えそうですのう。」
幸之助
「次は、朝倉館の唐門ダニ。」

朝倉義景の菩提を弔うために設けられた松雲院というお寺の正門。向唐門形式で江戸時代前期の建物である。豊臣秀吉が朝倉義景の善提を弔うために寄進したものと伝えられている。門の表には朝倉家の三ツ木瓜、裏には豊臣家の五三の桐の紋が刻まれている。

彦右衛門
「ほっほう、見事な門構えじゃのう。ここまで整備した城下町をあっさり捨てて逃げ出すとはのう。もったいないもったいない。」
章之進
「確かに、彦右衛門様なら最後までやだやだって駄々をこねてるでしょうね、アハハ………う、すいません。」
彦右衛門
「ゴホン、分かっていればよろしい。」
義左衛門
「しょうもないやりとりは止めて朝倉館に入りますぞ!」


南側の山城を背に、西向きに入り口の唐門がある(唐門の右側の隅が北方向)。正面の土塁の両隅には隅櫓が設けられていた。内部には10数棟の建物が建ち並び、南西側に主殿(復元図左側の大きな屋根の建物)を中心として数寄屋・庭園等があり、接客用に使用されていた。
北東側は、常御殿(復元図右側の大きな屋根の建物)を中心にして日常生活の場となっていた。ここに台所・湯殿などもあった。
彦右衛門
「ううむ、素晴らしい!さすが越前に100年の栄華を築いただけのことはあるのう!」
俊丸
「彦右衛門様!これくらいで驚いてはいけないデブ!どうやら、素晴らしい庭園が裏にあるようデブ。」
彦右衛門
「おお、物見をして参ったか。またいたずらをしておるのではあるまいな?」
俊丸
「もうやってないデブ!ささ、庭園を見るデブ!」


朝倉館の周りには、南陽寺跡庭園、湯殿跡庭園、諏訪館跡庭園といった見事な庭園が在る。中でも、この諏訪館は朝倉義景の妻・小少将の館で、その庭園は遺跡の中でも最も大きな規模を誇る。
上下二段の構成になっており、下段の滝副石(たきぞえいし)は高さ413センチで日本最大である。
彦右衛門
「むうう、また見事な館に見事な庭園。南側の中の御殿跡が義景の母親・高徳院の居館があった場所じゃな。そして、さらにその南側が諏訪館跡、義景の愛妻の居館か。」
章之進
「こんなええもん建てたら、ここから出たくなくなりますわな。しかも、愛妻付きだし……彦右衛門様とはえらい違いですのう、ホエホエ。」
彦右衛門
「ぬ、ぬ、ぬ、うるしゃいやい!名門の家に産まれてたら拙者だって拙者だって!」
幸之助
「既に発言が負け犬ダニ。悲しいダニ。」
彦右衛門
「お、お前ら、家来のくせに家来のくせに……ひーん、しくしく。」
義左衛門
「まあまあ、もう彦右衛門殿も一介の野武士から、数カ国に版図を広げる大名でござりまする。そう卑下することもござりますまい。天下人も夢ではござらぬぞ。」
彦右衛門
「その通り!もっと敬え、愚か者どもめ!」
俊丸
「立ち直りが異様に早いデブ。」
彦右衛門
「よっしゃ!これより背後にある一乗谷城を攻め撮るぞ!」

標高473メートルの山に位置し、一の丸、二の丸、三の丸、千畳敷などの御殿群、曲輪群がある。昔の足軽は緊急時には15分で山頂まで駆け上ったそうである。結局一度も戦闘に使われないまま、織田の手に落ちてしまった。
章之進
「あれ、彦右衛門様!こんな看板が!」

俊丸
「拙者の内偵では、春先は熊が出て危ないから、山登りは気をつけろと地元の人に言われたデブ。ま、城詰めの足軽は、緊急時には15分程で山上まで登るそうだから、熊に出会う確率もそう高くないデブよ。」
彦右衛門
「………………。しょ、章之進(上ずった声で)!お主に手柄を与えてやろう。さっさと攻め撮って参れ!」
章之進
「い、嫌ですよ!今さっきまで威勢のいいこと言ってたんだから、ご自分で行かれてはどうですか?私はこちらで彦右衛門様の勇姿を目に焼き付けておきとうござる。」
幸之助
(なすりあいが始まったダニ。こんな危険な場所に行かされてはたまらんダニ。)
コソコソコソ……。
義左衛門
「ああ、幸之助!お主、どこへ行く気じゃ?まさか自分1人逃げる気ではあるまいな?」
幸之助
ギクッ!
「そ、そういう義左衛門殿こそ、ご自慢の知恵で攻め撮って参ってはいかがダニか?」
こうして攻め撮りのなすりあいが半刻(1時間程)続き
彦右衛門
「はい、攻め撮りは今回は断念しまっす!熊の出ない季節にまた攻め撮ることに致す!ま、朝倉軍も叩いたし、誰もおらんから大丈夫であろ。」
一同
「誰も痛まぬ名御裁きにござりまする、へへー!」
彦右衛門
「よし、今日はこれまで!一乗谷でゆっくり休んで鋭気を養うのじゃ!」
彦右衛門勢
「エイエイオー!」
その夜
俊丸
「いやー、住民共がたくさん食糧を置いて逃げ出したお陰で、食べる物には事欠かないデブ。」
モシャモシャハグハグ
俊丸
「食った食ったと、後は寝るだけ………ググゥ。」
パチパチ
俊丸
「うーん、むにゃむにゃ、熱いデブ………ん?ああ!しまったデブ!また火の不始末をしでかしたデブ!!け、消せないデブ!ここは……。」
俊丸は外に出て叫び始めた。
俊丸
「朝倉方の残党が火を放ったデブ!方々、起きてすぐに退却をするデブ!火のまわりが異常に早いデブ!」
彦右衛門
「おお!皆、退避致せ!火は下城戸の方からか!上城戸に向かって逃げるのじゃ!道理であっさり一乗谷を明け渡したと思うたら、こんな置き土産を考えておったとは!」

俊丸
「今回はうまく騙せたデブ。一件落着!後は知らないデブっと!」
義左衛門
「さっさと逃げ出したようにござりますな。」
彦右衛門
「なんと他愛のない奴じゃ。女や歌舞音曲にうつつを抜かしておるから、このようなことになるのじゃ!」
彦右衛門の周りの兵達
(そういうお前も唐津で羽根を伸ばしとったろがい!)
「へラヘラヘラ、いや、全くその通りにござりまする。」
彦右衛門
「む、気になる笑い方をしよる……。まあええわ。さて、一乗谷は主を失って上を下への大騒ぎになっておるようじゃ。さっさと兵を入れて攻め撮ってくれる!もう守備する兵もいないから楽なもんじゃぞ、にゃははのは!」
義左衛門
「一時は1万人以上の人々が住んでいたという町。楽しみにござりますな。」
章之進
「さっさと参りましょうぞ!」

正面の山の上が一乗谷城である。正面の山に突き当たって右に行くと一乗谷の町がある。
幸之助
「見えてきたダニ。」
俊丸
「彦右衛門様!一乗谷の図を手に入れて参りましたぞ!」

彦右衛門
「よし、まずは下城戸から町に入ることに致す!」


東西の山が迫り谷の幅が約80メートルと最も狭まった所に造られた防御施設。この先1・7キロの地点にある上城戸と併せて、城戸ノ内を区画していた。
幅10メートル、深さ3メートルの堀と、幅15メートル、高さ4・5メートルの土塁で構成されており、出入口には重さ10トンを超す巨石を用い、中には重さ40トンを超える巨石も使用されている。
入ってすぐの場所には小規模の屋敷が連続して発掘されており、商人や職人の町家があったと考えられている。
彦右衛門
「逃げ出してくれて助かったかもしれんな。相当に厳重な守りではないか。」
義左衛門
「全くにござりまする。しかし、さすが100年に渡って繁栄してきた町ですな。石組みも巨石を用いて豪壮な造りですぞ。」
章之進
「一乗谷川に沿って進み、町並みを見て廻りましょうぞ。」


戦国時代の町並が再現されている。左側は武家屋敷群となっており、身分の高い武将の居館が並んでいた。右側には、それより身分の低い武将の武家屋敷や商人、職人の家が復元されている。


彦右衛門
「うーむ、どいつもこいつも見事な居館を構えおって!」
幸之助
「あ、貧乏野武士出身のひがみ根性が出てるダニ!」
彦右衛門
「う、うるしゃい!それより、既に住民共が逃げ出しておるようじゃ。どら、1つ門を潜ってみるかのう。」
章之進
「お、丁度武家屋敷がありますぞ。」

彦右衛門
「御免!邪魔するでぇ!」
???
「邪魔するんやったら帰ってぇ!」
彦右衛門
「はぁ〜い、って、なんでやねん!」
俊丸
「引っ掛かったデブ!伊賀忍法木霊返しの術!」
章之進
「遊びなさんなって!向かいの武家屋敷よりも小さいですな。身分のあまり高くない侍の屋敷でしょう。」

彦右衛門
「うむ、おお?章之進の大好きなものがあるぞ!」

便所はなぜか門を入ってすぐ右手にドーンとある。入り口を向いて用を足すようになっており、近くに居た職員の話だと不意に襲われても対処できるようにとの配慮ではないかとのことである。
俊丸
「なにせ、ウンコ之進デブからね、くっくっく。」
章之進
「むうう、この素デブが……今に見ておれ!」
彦右衛門
「さてと、母屋の方に入ってみるかのう……うおぅ、人がおるではないか!」


俊丸
「またまた引っ掛かったデブ!伊賀忍法傀儡使いの術!」
章之進
「ぬうう、いたずら者め!懲らしめてくれるわ!」
俊丸
「お助けデブ〜!」
義左衛門
「ああ、町の反対側へ行ってしまった……。我々も町の真ん中に流れる一乗谷川を渡って東側に行ってみましょう。朝倉義景の居館や一乗谷城がありますぞ。」


町の真ん中を南から北に流れる一乗谷川。足羽川(あすわがわ)に流れ込んでいる。南の方へ行くと上城戸があり、そこを越えると佐々木小次郎が修行したという富田勢源道場跡や燕返しを編み出したという一乗滝がある。
義左衛門
「さて、のんびりしている場合ではございませぬぞ。更新が遅いと読者の皆様も不満を持たれましょうほどに。」
章之進
「えー、まだ唐津のうまいもんも食い足りんし、せっかく茶道具の勉強もしようかと思ったのにぃ。」
義左衛門
「またゆるりとすればよろしかろう。今度は唐津から遥か東、越前は一乗谷に兵を向けますぞ!」
彦右衛門
「げ!また遠いのう。もうちょっと唐津で遊んで行きたかったのに……。」
義左衛門
(何考えとるんじゃ、この大将は?)
「越前にも面白いものはたくさんあると思いますぞ。」
彦右衛門
「よっしゃ、行くか!」
俊丸
「相変わらず身変わりが早いデブ。」
彦右衛門
「黙らっしゃ〜い(吉本の末成由美風に)!それでは、韋駄天の術!えいえいえ〜い!」
彦右衛門勢
「えいえいひえ〜いざん、延暦寺!織田に焼かれて火がポッポ!」
章之進
「うーん、相変わらず我が軍の息はピッタシですな!」
その頃、越前一乗谷
朝倉景鏡
「ご注進!彦右衛門勢、越前に向かって進軍中!」
朝倉義景
「ぬ!西の方でごそごそやっとると聞いてはおったが、遂に一乗谷に鉾先を向けてきたか!しかし、我が朝倉氏は越前の名門。そこいらの野武士上がりにやられるわけにはいかぬ。出陣じゃ、刀根坂で迎え撃つぞ!」
小少将
「あなたぁ〜ん、そんなに殺伐とした戦場にお出でにならずとも、朝倉氏は盤石でござりましょうに……。」
義景
「う、う〜ん、そんなこと言わないでよ〜。僕の愛しの小少将ちゃ〜ん!ちゃんと迎え撃たなきゃ、一乗谷が落とされちゃうんだから!」
小少将
「んもう、しょうがないわねぇ。さっさと片付けて帰ってきてよ!」
義景
「うん、僕ちゃん、頑張っちゃう!」
朝倉景鏡
「…………………。」
(こりゃダメだな。今回の出陣は見合わせておこう。)
「あのぅ、私めは後方の自分の領地をがっちり固めたいので、今回の出陣はご遠慮させて下さりませ。」
義景
「あ、そう。では、がっちり後方を固めておれ。野武士上がりの軍勢など蹴散らして、すぐに戦勝報告をしてやろうほどにのう、わっはっは。」
刀根坂にて両軍対峙
彦右衛門
「かかれ、かかれい!京かぶれの朝倉なぞは弱兵じゃ!連戦連勝の我が軍の勢いを見せてやれ!」
幸之助
「撃って撃って撃ちまくるダニ!敵が崩れたら槍襖を作って突撃するダニ!」
彦右衛門勢
「オオーーー!」
歴戦の兵が揃う彦右衛門勢にかかっては、名門・朝倉氏の軍といえども持ちこたえられなかった。あっという間に打ち破られた朝倉軍は退却を始めた。
彦右衛門
「一気に一乗谷へ攻め入るぞ!」
義左衛門
「それ!朝倉義景を討ち撮れぃ!」
朝倉義景
「ひえぇぇ、小少将ちゃ〜ん、負けちゃったよ〜!」
朝倉景鏡
「大敗にござりまするな。既に、我が軍の中核を担うべき武者共も討ち撮られておりますれば、一乗谷での抵抗は叶いますまい。一旦、拙者の領地・大野へお引きなされて、再起を図りましょう。」
こうして義景と愛息・愛王丸、愛妻・小少将は、わずかの供回りの侍と共に朝倉景鏡の領地・大野へと落ちて行った。





