<茶臼山城(周匝城)>
享禄・天文年間(1532〜1555)の初め頃、安芸から来た笹部勘解由(亦次郎)が、標高172メートル、比高110メートルの茶臼山の頂上に築城したという。笹部氏は浦上家に服属していた。浦上家の勢力拡大に伴い、その傘下に入ったものと考えられる。
しかし、天正5年(1577)、主家の浦上宗景が宇喜多直家の下克上により、天神山城を追われてから風向きが変わる。笹部氏はこの時、勘解由の息子・勘斎貞利の代になっていた。
宇喜田直家は天神山城を攻略後、延原弾正景能を大将として茶臼山城にも攻め寄せた。しかし、城兵はよく防戦しこれを撃退した。
美作併呑を目論む宇喜田直家に対し、浦上宗景に服属していた美作及び備前北東の豪族達は、三星城の後藤勝基を盟主として反宇喜田連合軍を形成。笹部勘斎もこの連合軍に加わった。しかし、これが運の尽きとなってしまった。
天神山城落城後2年が経ち、天正7年(1579)2月、直家は延原弾正景能を総大将とし、勇将・花房助兵衛職之を付けて美作東部討伐の兵を出した。そして、最前線に位置する茶臼山城は、真っ先に宇喜田軍の攻撃を受けることとなった。
宇喜田の大軍を受け、城兵はよく戦ったが多勢に無勢、城は落ち勘斎は討死。勘斎の息子・仙千代も城の裏手、一の谷にて討たれた。
なお、笹部氏の出自については、亦次郎を勘次郎・勘斎とする説もあり、詳細は明らかではない。
茶臼山城は浦上氏の天神山城の上流7、8キロの地点に位置し、美作を流れる吉野川と吉井川の合流地点にある。そのため、美作北部からの水運を押さえることができ、天神山城の防衛戦略上重要な位置を占めていたと思われる。

この戦略上の重要性から、ここ周匝の地には、江戸時代に入って備前池田藩となってから、一族の池田伊賀守長明が2万2千石で陣屋を構えることとなった。

以後、周匝池田家として、備前池田藩の家老職を勤め、11代を数えて明治維新を迎えた。
吉井川を挟んで川向こうの北側には、鷲山城がある。また、北西には大仙山城がある。大仙山城とは尾根続きであり、築城年代は大仙山城の方が古い。また、大仙山城の方が圧倒的に規模が大きいことから、茶臼山城は元々、南東の防備を固めるための出城であった可能性が高い。
本来、浦上家に服属していた頃は、北の尼子氏に備える必要があったのであり、大仙山城はその役割を果たしていたのであろう。しかし、時代が下って南の宇喜田氏に備える必要が生じ、そこから出城であった茶臼山の重要性が飛躍的に増したものと考えられる。

現在、茶臼山城は城山公園として整備され、素晴らしい眺めを楽しむことができる。
彦右衛門
「あちらが二の丸か!息をつかせずすぐに攻めかかれ!」
彦右衛門勢
「おおーー!」

笹部勘斎
「いかん!兵を立て直す余裕もないわ!」
笹部軍の兵
「勘斎様!二の丸の背後より迫ってくる兵がおりまする。」
こちらは、義左衛門の別働隊
義左衛門
「ふわぁ、よう休んだのう。おお、やっと本丸も落ちたか。さすがは我が軍じゃ。そろそろ我々の出番じゃのう。これより遅れを取り戻すため二の丸に攻め込むぞ!」
笹部勘斎
「いかん!南北に大軍を受けては、この孤塁を守り抜くのは不可能じゃ。ここは尾根づたいに北東の大仙山城に引くのじゃ!茶臼山城は元々、出城にすぎぬ。大仙山城にて徹底抗戦を致そうぞ!」
こうして、笹部軍は大仙山城へと撤退していった。
義左衛門
「む、笹部軍が引き揚げていくぞ。今じゃ、二の丸を攻め撮れ!」
義左衛門勢
「おおーー!」

彦右衛門
「おお、義左衛門!ご苦労であった!」
義左衛門
「こちらこそ、道に迷う大失態にて攻撃が遅れたる事、面目ござりませぬ。」
彦右衛門
「構わぬ。これより兵を北西に向け、大仙山城を攻略致す!」
章之進
「ちょっと待ったぁ!義左衛門殿さぁ、また一番楽なとこだけ攻めてなぁい?」
義左衛門
ギクッ!
「な、何を申しておるか!我が手の者は、迂回して二の丸を攻めたために、道に迷うて………。」
通りがかりの義左衛門の兵
「いや〜、本丸落ちてから攻めろとの命令だったので、今回も楽じゃったのう。」
別の兵
「おお、全くじゃ!二の丸から兵がおらんなってからじゃからのう。そりゃもう簡単なもんよ。我が主の知恵は神の如しじゃのう!わっはっは!」
義左衛門
「…………もごもご。いやな、笹部勘斎を二の丸に引き揚げさせ、大仙山城の方に落ち延びさせると、物語も面白くなるかなと……てへっ!」
一同の白い視線が義左衛門に厳しく突き刺さるのであった………。
彦右衛門
「それ、かかれ、かかれい!一気に攻め撮るぞ!」


太鼓の丸の東側山麓には、江戸時代にここ周匝(すさい)の領主だった池田氏の居館があり、お茶屋敷と呼ばれていた。また近辺には、戦国時代の笹部氏の根古屋(城を守る家来の家)跡と推定される場所もある。
彦右衛門
「よし、太鼓の丸は落としたぞ!これより本丸へ攻め上る!」
笹部勘斎
「むう、太鼓の丸が落ちたか。しかし、この本丸は易々とは抜けんぞ!」
彦右衛門
「よし、正面より攻撃を開始せよ!一気に攻め撮るのじゃ!」



二の曲輪と本丸の間に位置し、本丸防衛の最後の拠点となる重要な曲輪。この曲輪の南に井戸があり、さらに南側には長さ100メートル近くある大竪堀が山腹に穿たれている。
幸之助
「水の手を撮ったダニ!これで本丸の兵どももなす術が無くなるダニ!」

章之進
「げっ!またもや竪堀……。しかし、今回は引っ掛からんぞ!竪堀は避けて攻め上れ!竪堀に入った兵は、落石に注意しながらゆるゆると進め!」

ご親切にもチェーンが張ってあり、100メートル下まで降りられる。しかし、このチェーンが殆ど意味をなさない程に、傾斜は急である(笑)。うっかり滑ると、身体が伸び切り、宙ブラリに近い姿勢になる。
笹部勘斎
「くっ!はや水の手も抑えられたか。これでは本丸も持たぬ。孤立する前に、二の丸へ撤退して今一度体勢を立て直すのじゃ!」
彦右衛門
「お、二の丸へ引き揚げていくぞ!それ今じゃ、本丸を乗っ撮れい!」

この登城口の手前にも大きな堀切が設けられている。山頂に易々とは近付けない仕組みが整えられていた。
俊丸
「くんくん、む、これは食料品の香りデブ!あの建物が臭いデブ!どらどら、おお、たくさんの食料品デブ。もうお腹空きまくりデブよ。早速頂いていくデブ!ムシャムシャ、モフモフ!」


長径約9メートル、短径約7メートルの楕円形で深さは4・5メートル。1・5メートル下に踊り場があり、さらに下に2・6×4・8メートルの底面がある。中からは、備前焼、陶磁器、鉄製品、永楽通宝などの古銭といった、室町中期の遺物が出土している。
人間の居住にも十分な空間があり、居住と貯蔵を兼ね備えた施設と推定されるとのこと。また、戦国時代の城郭でこのような遺構の発見例は珍しいそうである。
彦右衛門
「それ、天守も乗っ撮れ!」

現存する山城の特徴を取り入れて構築した模擬天守。実際にこのような天守閣が存在したわけではない。
彦右衛門
「よし、本丸の乗っ撮りは成功じゃ!笹部勘斎を追って、二の丸へ攻め入るぞ!」
章之進
「いやー、久しぶりの備前ですなぁ。」
義左衛門
「全くじゃ。しかし、のんびりしておるわけにはいかんぞ。どうやら美作東部の豪族が、不穏な動きを致しおるようじゃ。」
彦右衛門
「三星城城主・後藤勝基か。天朝様に拝謁したことだし、余勢をかって一気に攻め撮ってやるか。」
義左衛門
「それがよろしゅうござりまする。美作守護に任じられておりますれば、大義名分も立ちましたしな。では、まずは備前東部と美作東部の接点にある茶臼山城を攻略致しましょうぞ。我が軍の留守の間に、居残り組の兵がここを攻めましたが、落とせずに辛き目にあわされたようにござりますれば。」
彦右衛門
「よし、出陣じゃ!儂自ら出て攻め撮ってくれる!」
義左衛門
「見えましたぞ!あれが茶臼山城、この地の地名をとって周匝城(すさいじょう)とも呼ばれておりまする。」

俊丸
「彦右衛門様!早速、縄張り図を手に入れて参ったデブ!」

彦右衛門
「むう、これは一大城塞じゃぞ。ここから見えておる本丸の北西に、大仙山城という大城塞もあるではないか!」
幸之助
「報告ダニ!城将は笹部勘斎と申す者。この度、後藤勝基と呼応して我が軍に敵対したようダニ!付近の浪人を集めて立て篭りおる様子ダニ!」
義左衛門
「ここは軍を二手に分けましょう。一手は彦右衛門殿を大将として太鼓丸から攻め上って下され。もう一手は拙者が大将となり、二の丸方面から攻め撮りまする。茶臼山城の本丸を落とした後、大仙山城へ撮到いたしましょうぞ!」
彦右衛門
「よし、本隊は五段に陣立てを致せ!繰り引きしながら、先ずは太鼓丸を一気に落とすぞ!」
彦右衛門勢
「オオーーッ!!」
章之進
「まったく、何が『下痢の症状』じゃ。馬鹿にしくさって!ん、おお、あれは我が手の者ではないか!弓の試射を致しておるのか。」
侍
「おお、章之進殿。お役目ご苦労でござる。して、参内の方は無事に済んだのでござるかな?」
章之進
「うむ、無事終わった。官位の沙汰もあったようじゃ。これからは朝廷を後盾にして戦うことができよう。それより、拙者にも弓の稽古をさせてくれ。」
侍
「おお、ようござる。ささっ、どうぞ存分になされよ。」
章之進
「よ〜し、あの的に当てればよいのじゃな。」
「えいっ!」
???
「右!」
章之進
「次じゃ、そらッ!」
???
「左!」
章之進
「誰じゃ?うるさいのう。次じゃ、ええいッ!」
???
「下!」
こうして、章之進の射る矢の当たる位置をことごとく当ててしまう者がいた。最初は気にも留めなかった章之進だったが、全ての矢がその者の言った通りの位置に突き立つので、次第にイライラしてきた。
章之進
「おい、そこもとは何の故あって、さっきから我が弓の稽古の邪魔を致すのじゃ。拙者の矢筋を見極める程の者なれば、余程腕前に自信がおありであろう。一つ貴公の腕前の程を見せて頂きたいものじゃ。」
(少しでも外したら笑い者にしてくれるわ!)
榎本兵衛
「おお、これは失敬致した。拙者は美作の国の住人、榎本兵衛と申す者。今度、伊勢詣りのついでに、京に立ち寄ったる次第にござる。腕前を見せよとの仰せなれば、披露致し申そう。」
そう言って、兵衛はまず普通の矢を取り、ひょうと放ったところ、矢は見事に的の中心を射抜いた。
章之進
「げッ!なんたる腕前!」
榎本兵衛
「これしきで驚いてもらっても困るのでな。」
兵衛は次に鏑矢(先に高い音のする鏑の付いた矢。合戦の合図などに用いる。先には二股状の金具が付いている。)を取った。
榎本兵衛
「えいっ!」
兵衛の放った鏑矢の先端は、先に放った矢の筈(弦にかけるための溝がついた矢のお尻の部分。)を捉え、瞬く間に先に放った矢を真っ二つに切り裂き、これまた的の中心に突き刺さった。
章之進
「な、なんじゃ、こいつ!なんたる腕前!戦国無双と申しても過言ではないぞ!」
榎本兵衛
「退屈しのぎになり申した。では御免!」
そう言って、榎本兵衛は姿を消した。
章之進
ぽけーッ
「いやー、凄かったねぇ。恐ろしいばかりの腕前。戦場で狙われたら命がなかったろうね。兵衛だけにひょえ〜!」
集まってきていた群衆と彦右衛門軍の侍達は、アメリカザリガニのように後ろに引いていき、章之進1人がポツンと残されたのであった。
章之進
「………………。」
<榎本兵衛>
美作弓削庄東山村の人。天正時代に地頭の榎本重成十世の孫として生を受け、慶長年間に死んだ伝説の弓の達人である。
ある時、兵衛は、伊勢詣りをしたついでに諸方を見物して京都に辿り着いた。都大路を蓬髪異様の風体、背には菰に包んだ愛用の弓を負って歩き、名所旧跡を訪ねて三十三間堂に来た兵衛は、多くの侍が弓の試射をしているのに出会った。
それを傍らで見物していた兵衛は、侍が弓を引いて放つ瞬間に、「今のは左、これは右、下、上……。」と逐一ぶつぶつと独り言をつぶやいていた。
ところが、この独り言が全て的中する。侍達は心中大いに驚いたが、横で見て言い当てる様に段々腹が立ってきた。射る瞬間に横でぶつぶつ言われては、気になるのも無理は無い。予言が当たるとなれば、尚更腹が立つ。
遂に一人の侍が兵衛の前に来て、「人の弓を評するのは弓に心得があるからであろう。貴公の腕前を見せて頂こう。」と詰め寄った。
兵衛は得たりと立ち上がり、愛用の弓を取り出し先ず普通の矢を射た。矢は的の中央を射抜いた。次に、兵衛は鏑矢を射た。鏑矢は先に射た矢の筈を捉え、筈から先の矢を真っ二つに割って的に命中した。
周りの者はあっけにとられ、感嘆の声さえ出なかった。
この事件は瞬く間に京の町の話題をさらった。ある物好きが、兵衛の筈を射る姿を絵師に描かせ、「筈割りの兵衛」と題して三十三間堂に奉納した。郷里の人は、上京した際、必ずこの額を見て帰郷したそうである。
兵衛は武運には恵まれず、郷里で一生を終えた。美作に残る伝説である。
正親町天皇
「今度の上洛、大儀であった。」
彦右衛門
上ずった声で、
「て、天朝様にはご機嫌麗しく、何よりにござりまする。」
(ああ、しまったぁ、緊張してもうたぁ!)
周りの公卿
「ぷっ、クスクス。」
正親町天皇
「京の治安にも気を使い、人心も落ち着いておるはそなたの功績。」
彦右衛門
「いやいや、これも天朝様の御威徳の賜物にて、拙者の力などは大したことはござらぬ。天朝様には貢ぎ物がござりますれば、是非受け取って頂きたく存じまする。」
正親町天皇
「菊亭春季より既に受け取っておる。困窮する朝廷への心遣い、有り難く存じおるぞ。また美作岩屋城では、勅賜の寺号を持つ慈悲門寺に対し、情けある振舞を致した由、天晴な心掛けである。」
彦右衛門
「ははッ!恐れ入り奉りまする。」
正親町天皇
「そなたこそこの京の守りを任せるに相応しい。今度の功績を称えて、従五位下・山城守を授ける!今後も忠勤に励むように!」
彦右衛門
「ははー!」
こうして彦右衛門は面目を施し、拝謁を終えたのであった。
彦右衛門
「ふっふ〜ん、官位もらっちゃったぁ!しかも、山城守!拙者の好きな直江兼続と同じ!」
章之進
「幕府の役職には興味なかったくせに、えらい喜びようですな。」
彦右衛門
「幕府は倒して自ら開いてもよいが、朝廷はそうはいかんからのう。いわば、永久不滅ポイントをもらったようなもんじゃ。ところで、お主達にも官位を賜っておるぞ。」
章之進
「マジっすか?こりゃ棚からぼた餅。また彦右衛門様に美味しい所だけ持っていかれたかと思っておりましたよ。」
彦右衛門
「む、城中の軍資金をネコババ致しておる割には、トゲのある物言いよな。まあよいわ、まず義左衛門には従六位上・刑部少丞(ぎょうぶしょうじょう)、幸之助には正七位上・左衛門少尉 (さえもんのしょうじょう)、俊丸には従七位下・主殿少允(とのものしょうじょう)じゃ。」
「で、章之進には………。」
章之進
「ふんふん」
彦右衛門
「運動会、最下位、ゲッ、下痢の症状!じゃ!」
章之進
「いらないや〜い!ひ〜〜〜ん!」
義左衛門
「ああ、どっか行ってしまった。ちょいとキツいお灸でしたかな。」
彦右衛門
「わっはっは。章之進にもきちんと従六位下・勘解由判官(かげゆのじょう)を頂いておる。ちょいとからかってやったまでじゃ。」
義左衛門
「さて、一応の平穏は取り戻し、上洛の目的も果たしました故、居城に戻ると致しましょうぞ。我らの飛び地領の中心にある岡山城がよろしかろう。」
彦右衛門
「そうだね。」
<正親町天皇>
第106代の天皇。弘治三年(1557)、先代、後奈良天皇の崩御に伴い即位の礼を挙げた。この時、応仁の乱による政局の混乱で天皇家の財政は苦しく、毛利元就など有力大名の献金によりようやく即位の礼を挙げたという有様であった。
その後、永禄11年(1568)、足利義昭を奉じて織田信長が上洛するに及び、ようやく天皇家の財政難や権威の失墜といった状況が変わる。
織田信長は天皇の権威を利用し、朝倉・浅井や石山本願寺などとの講和の勅命を出させ、天皇家もまた織田信長の政治力・軍事力を利用し、権威の回復を成し遂げた。
しかし、この蜜月関係も長くは続かず、正親町天皇は、天正元年(1573年)頃から信長に譲位を要求されるようになる。しかし、正親町天皇はそれを最後まで拒んだという。
本能寺の変の後、豊臣秀吉に政権が移った後は、秀吉が自身の権威付けに天皇を利用し、天皇家も天下人・秀吉の力を利用したため、天皇家の権威は増々高まることとなった。
武家出身でない秀吉は、足利義昭の養子になることを拒まれ、将軍となって幕府を開く途を断たれた。そこで今度は朝廷での昇進を目指し、天正13年(1585)、関白・近衛前久の養子となり、関白の位についた。
こうして秀吉は朝廷の権威を最大限利用し、また天皇家も秀吉の軍事力を背景にして朝廷の権威を回復したといえる。
天正14年(1586)、正親町天皇は、孫の周仁(かたひと)親王(後陽成天皇)に譲位して仙洞御所に隠退した。その後、文禄2年(1593)に崩御した。
彦右衛門
「御免仕る!菊亭春季殿に面会を申し込んだ彦右衛門と申す者にござる。どうかお取り次ぎを願いたい!」
菊亭春季邸の下僕
「少々お待ちくださりませ。」
しばらくして、
下僕
「どうぞ、こちらへ。」
菊亭春季
「おお、これはこれはよう参られた。はよう入りなはれ!」
(さて、義昭はんから頼まれたが、この田舎侍をどう扱いまひょか。)
彦右衛門
(む、顔は笑っておるが心は笑っておらぬ!ここは1つ……。)
「失礼致す。これ、章之進!」
章之進
「ははっ!ただいま!」
菊亭春季
「ん、なんでおじゃるかな、この大きな箱は?」
彦右衛門
「いやいや、大したものではござらん。ただのお菓子でござるよ。」
菊亭春季
(なんじゃ、しょうもない田舎の菓子かいな。)
「それはそれは、御心使い痛みいるでおじゃる。」
彦右衛門
「まあまあ、早速召し上がって下さりませ。章之進、お開け致せ!」
章之進が開けた箱の中には、金が山と積まれていた。
菊亭春季
「うおぅ!これは見事な黄金色のお菓子でおじゃるのう。」
(ふむ、こやつなかなかに気のきく男でおじゃるな。これは力になってやっても、損にはならんでおじゃろう。)
彦右衛門
「気に入ってくれたようにござりますな。」
菊亭春季
「無論でおじゃる。度重なる戦で、領地からの年貢ものうてな。懐具合は寂しいのでおじゃるよ。おおっと、これは内輪の話。しかし、こんなものをもらっては、御所への参内を取りなさぬわけにはいかんでおじゃるな。」
彦右衛門
「ふっふっふ!」
菊亭春季
「むっふっふ!」
二人
「にゃはははははは!」
章之進
(京は妖怪の町かのう、食わせ者ばかりじゃわ。彦右衛門様もようやるわ。)
菊亭春季
「ただのう、お主にはまだ朝廷での官位がおじゃらぬ。よって内裏に上げるわけには参らぬ。」
彦右衛門
「ようござる。地の上なりとても野武士の勤王の志を見届けて頂ければ、これに過ぎたる仕合せはござらぬ。」
菊亭春季
「うむ、あい分かった。なぁに、これだけのお菓子を頂いては、麿も動かぬ訳には参らぬ。そなたは実力に申し分もなければ、官位の沙汰も望みのままに取り次いで進ぜよう。忠勤を励めば、すぐに殿上人に昇進するでおじゃるよ。」
彦右衛門
「今後もよしなに!」
こうして、彦右衛門は参内することとなった。
俊丸
「ささ、彦右衛門様!粗相の無いように御所の地図を手に入れて参りましたデブ!」
彦右衛門
「おお、でかした!しかし、なんだか緊張してまいったぞ!」

義左衛門
「それでは西の新在家門より入り、建礼門から参内致しましょう。」
彦右衛門
「あれ?閉まっとるし!開門、開門!」
章之進
「うーん、返事が無い……空砲で合図してみましょう!空砲だから門狙ってもいいですよね〜!」
ズダーン!
チュイーン!
章之進
「あら?弾が入ってた?」
彦右衛門
「ば、バカモノ!」

義左衛門
「こりゃまた見事に穴が開きましたのう。」
彦右衛門
「ああ、火がついて燻っとるじゃないか!早く消せ!」
ギイイ
章之進
「あ、開いた!」
御所の貴族
「なんてことをするでおじゃるか!ここは普段は閉めておる門におじゃるぞ!」
章之進
「火がついて初めて開いたって訳ですな、それなら火であぶられて口を開くのに例えて、これからは蛤御門と呼ぶ事に致しましょうぞ、ホエホエ!」
幸之助
「おお、それはいい呼び名ダニ!」
貴族
「全く、少しは反省するでおじゃる。彦右衛門殿でおじゃるな。御内裏様もお待ちかねにおじゃるぞ。」
彦右衛門
「ハッ!」

幕末の元治元年(1864)、天皇簒奪を目論む長州藩と御所の警護にあたる會津・薩摩藩がこの門を中心に激戦を繰り広げた。世に言う「蛤御門の変(禁門の変)」である。長州藩は破れ、久坂玄瑞を始め多くの有能な藩士を失ってしまった。弾痕はその時のものである。
この門は元々、新在家門と呼ばれていたが、宝永の大火(1708)の時に、それまで閉ざされていた門が初めて開かれたために、「焼けて口開く蛤」に例えられてこの名がついたという。
幸之助
「ほっほう、広大な敷地ダニ。これは御所の西側の塀なんダニ。」

彦右衛門
「しかし、所々痛んでおるのう。おいたわしや。」

義左衛門
「それにしても広うござるな!」

章之進
「おおぅ、遂に建礼門に着きましたぞ!」


彦右衛門
「ようやく天朝様に会えるのう。ドキドキじゃ!」
義左衛門
「さあ参りましょう!」
彦右衛門
「これより我が軍は上洛致す!今回の上洛は足利義昭公を奉じ将軍家を再興すること、及び度重なる戦で困窮極まっておられる天朝様へ御挨拶を申し上げることである!」
彦右衛門勢
「おおーー!」
章之進
「遂に上洛か!京とはどんな所か、楽しみじゃのう!」
義左衛門
「なお、京童どもが怯える事のないよう、軍律は厳しく守るように!洛内外を通じて盗撮は一切禁止じゃ。京の民草を撮害致す事なきよう、注意致すように!」
章之進
「ええ〜〜〜〜!?せっかく盗撮しようと思ってたのにぃ!」
彦右衛門
「コラ!ええ〜〜〜〜じゃねぇよ!お前は一般兵卒の模範にならんといかんというのに、何が盗撮しようと思ってたのにぃ、じゃ!卑劣な盗撮一切禁止!やったら厳罰に処す!」
章之進
「へへ〜〜!」
こうして彦右衛門勢は足利義昭を推戴して京に入った。軍律を厳しくしていたため、盗撮される者もなく、撮害された者も皆無であった。そのため、京の人々は彦右衛門勢を大歓迎で迎えることとなった。

写真の塔は法観寺・八坂の塔。飛鳥時代創建。現在の建物は永享12年(1440)足利義政により再興されたもの。
京の町人
「どこの田舎侍が来たかと案じておったが、これは情け深き大将で助かりましたわ。」
「ほんにその通りやわ。好き勝手をしてはった三好・松永も退散したよし。」
「当分は枕を高うして寝られますよって。」
「この前も一人の軍兵が京娘を物陰から盗撮しようとしてはりましたが、彦右衛門様がすぐに見咎めて、お尻ペンペン百回の刑に処しておりましたわ。」
「ものの分かった大将でようござりましたなぁ。」
幸之助
「評判は上々なんダニ。しかし、あれ程キツく申し渡したのに盗撮しようとした軍兵がおったとは、恥ずかしい話なんダニ。」
章之進
「まったくじゃのう!」
義左衛門
「何がまったくじゃのう、じゃ!馬にきちんと乗ってみよ!」
章之進
「うわっち!いてててて!」
幸之助
「まさか、お尻ペンペンされたのは章之進ダニか!?まったくアホウなんダニ!」
章之進
「いやいや、そうではない。拙者がわざと盗撮しようとして罰を喰らうことで、京の人々に彦右衛門勢の軍律の厳しさを知らしめたのじゃ。彦右衛門様と拙者の作戦じゃぞ!」
俊丸
「それは素晴らしい、と言いたいところデブが、やったのが章之進殿では信用できないデブな。」
章之進
「う、うるへー!」
彦右衛門
「まあまあ、今回は作戦じゃ。章之進もさすがに卑劣な盗撮を致すような者ではない………多分。」
章之進
「なんでそこでトーンダウンするんですか!しませんよ、そんなこと!」
義左衛門
「今回は軍師の拙者も知りませんでしたぞ。見事な作戦にござる。敵を欺くにはまず味方から。兵法の妙を会得され、京の民の心を掌握された事、執着至極にござりまする。」
足利義昭
「上洛大儀であった。朝廷については菊亭春季(きくていはるすえ)殿に伝えてあるゆえ、そちらに参るように。また洛内の治安もようなっておる。足利幕府の再興もなったといえよう。幕府役職として美作守護を授けるゆえ、今後も忠勤に励まれよ。」
(ふん、これくらいの役職で釣っておけば、思い通りに動くであろう。今後も働いてもらわねばのう。)
彦右衛門
「はは、有り難き仕合せにござりまする。」
(ふん、名目だけの将軍が何を抜かすか。そんな役職なぞ絵に描いた餅じゃ。下克上の世では大した効き目はないわ!時代遅れの石頭め!天朝様に御挨拶をしたら、さっさと引き揚げるのが上策であろうな。)
義左衛門
「では、お勧めに従い、菊亭春季殿にお会い致す事としましょうぞ。」
義左衛門
「彦右衛門殿!越前で思わぬ方を保護致してござる!」
彦右衛門
「む、それは誰じゃ?まさか拙者の大好きな加藤あいちゃんではあるまいな?」
義左衛門
「んなわけあるかい!……失礼致した。なんと三好と松永に弑された将軍・足利義輝公の御舎弟・義昭公にござりまする。丁度、越前の朝倉を頼られていたようにて、今回の騒ぎで一乗谷を落ち延びフラフラしておられるところを保護致しました。」
彦右衛門
「ほっほう、それは面白い話じゃ。で、どうするのよ、撮害するのか?」
義左衛門
「まさか!そんなことを致せば、全国の諸大名に攻められる口実を与えるようなもの。ここは義昭公を保護しておき、将軍としてこれを推戴し上洛を致しましょう。我らに大義名分ができまするから、上洛もたやすいかと。」
彦右衛門
「おお、遂に上洛か!天朝様にもお会いできるのであろうか?」
義左衛門
「無論にござりまする!」
彦右衛門
「では、京の別嬪さんにも?」
義左衛門
「当然!」
彦右衛門
「じゃあさ、じゃあさ、原史奈ちゃんは?」
義左衛門
「会えるかーい!全く、何を考えておられるのですか!ちょいと前のグラビアアイドルばかり。ここは戦国!」
彦右衛門
「チッ!しょうがないのう。まあいいや、義昭公を御通し致せ。」
足利義昭
「御免するでござるよ。お初にお目にかかる、足利義昭でござる。ほっほう、これはまた頼もしき御仁に会えて嬉しゅうござるな。」
彦右衛門
「将軍様におかれましてはご機嫌麗しゅうござりまする。越前一乗谷を攻め撮った為にご苦労をお掛け致した由、真に申し訳なく思ってござりまする。されば上洛の儀、この彦右衛門の軍勢が責任を持って果しまする。どうか御心やすうあられよ。」
足利義昭
「おお、そうしてくれるか。朝倉義景には再三再四上洛を頼んだのだが、なかなか色よい返事をしてもらえなんだのじゃ。これは有り難い。無事上洛の暁には、位官昇進の沙汰は思いのままに致そう。無論、朝廷にも便宜を図ってやろうぞ。」
彦右衛門
(ふん、名目だけの将軍風情に何ができるか知らんが、まあよかろう。上洛のためには利用できるものは利用せねばのう。)
「ははっ!有り難き幸せにござりまする。されば早速軍勢を招集致し、上洛の手筈相整えて出発致し申そう。」
足利義昭
(ふん、美作の山奥の野武士風情に何程の事ができるか知らんが、上洛のための便宜じゃ。将軍職の復権のために利用できるだけ利用してくれるわ。)
「うむ、良きにはからえ!」
こうして、彦右衛門勢は京を目指して越前を出立することとなった。
俊丸
「彦右衛門様!諸国を巡る我が手の者より、新たな同盟相手からの書状を受け取って参りましたデブ!」
彦右衛門
「おお、でかした!して、次の同盟相手はどのようなお方かな?」
義左衛門
「その儀は拙者から説明致し申そう。既に、俊丸からの報告で情報をまとめておりまするからのう。」
幸之助
「相変わらず手際がいいんダニ。早速、相手の城中の様子など聞きたいダニ。」
義左衛門
「うむ、今回の同盟相手は橘昌幸殿じゃ。戦国武将日記を立ち上げておられる。」
章之進
「昌幸という名は、音に聞く真田幸隆の三男坊と同じ名前ですな。知恵者の予感がバリバリですぞ。」
義左衛門
「その通り。戦国武将の視点でブログを書いていくという、面白い企画を進めておられるのじゃ。既に、明智光秀、浅井長政を書き、現在は大谷刑部吉継の日記を進めておられるようじゃ。」
彦右衛門
「ほっほう。戦国武将のうちでも悲劇の武将ばかりではないか。しかし、そのようなあまり皆が振り向かない武将を取り上げておられるのは、素晴らしいことではないか。」
幸之助
「そうダニ。目のつけどころが違うのは、人と違う証拠ダニ。どらどら拙者にも情報を見せるダニ。ふんふん、おや、テーマは歴史というよりも移りゆく人の心かもしれぬダニな。」
義左衛門
「確かにのう。文学的な趣が強いかもしれぬ。いずれにせよ、当城内のように笑かし半分ではない。」
俊丸
「この前、自撮させた朝倉義景もいずれ取り上げてもらいたいデブな。小少将との愛に生きた義景の情けなくない別の面をバーンと出してデブな、ちょっと一般の人と違った視点から書いてもらいたいもんデブ!」
彦右衛門
「おお、お主なりに罪の意識があるのかな?越前一乗谷では自撮させる必要もないのに、お主の失火でとんでもない罪を着せてしもうたからのう。」
章之進
「全くですな。さっさと逃げ出しよってからに。折角攻め撮っても、お主の失火で失ってばかりでは命がいくつあっても足りんわ。失火だけに、もっとしっかりせんかい!」
一同
「………………。」
一同
平伏して
「こんなアホウもおりますが、同盟の儀、以後もよしなにお願い致し申す。」
<一乗谷館と一乗谷城>
一乗谷の城下町は、福井市街の東南約10キロに位置する谷間にあります。戦国時代、朝倉氏の居館として103年に渡る栄華の中心となりました。最盛期には1万3千人の人々が暮していたといいます。
朝倉氏は兵庫県養父郡の豪族で、ここ一乗谷の初代、孝景が応仁の乱(1467〜1477)で文明3年(1471)に西軍から東軍に寝返り、この地に居城を移したと言われています。
以後、2代の氏景のときまで、主家である越前守護、斯波氏や守護代の甲斐氏との抗争を繰り返し、3代の貞景が永正3年(1506)の加賀一向一揆を撃退したことで越前一国の支配権を固めました。
この2代氏景の弟が、名将として名高く朝倉氏の中興を支えた朝倉教景(宗滴)です。
4代孝景の時代には、近江、美濃へも出兵し、戦乱で荒れ果てた京や奈良の公家、僧侶が下向してくるのを庇護しました。
こうして北陸や畿内の重要拠点を抑え繁栄を極めた朝倉氏でしたが、5代義景に至り名将朝倉宗滴も逝去してから陰りが見え始めます。
義景は将軍足利義昭を迎えるも、上洛をせずに織田信長の許へ逃げ去られます。
織田信長はその後、足利義昭を奉じて上洛。勢力を増す織田氏と朝倉氏は次第に険悪になっていき、元亀元年(1570)、姉川の戦いで激突します。
朝倉氏は朝倉景健を総大将として、近江の浅井氏と連合して、織田・徳川連合軍と対峙しました。なぜか当主の朝倉義景は出陣していません。
この姉川の戦いで徳川軍と戦った朝倉勢は、徳川方の榊原康政に横槍を入れられ、崩れたって完敗。鬼真柄と呼ばれた勇士・真柄直隆などの武将を失いました。
朝倉氏はその後、義景自ら出陣したり、比叡山延暦寺と連携したりすることによって、織田方を脅かします。
しかし、織田方の調略により家臣の前波吉継(まえばよしつぐ)が離反。天正元年(1573)には、織田信長の近江侵攻に対し、同盟相手の浅井氏を救援にいこうとしますが、重臣の朝倉景鏡、魚住景固に出陣を拒否されます。
悲壮な覚悟で2万の兵を率いて出陣した義景でしたが、この間にも織田方の調略の手が伸び、浅井氏の武将が離反。北近江で朝倉氏の前線基地となっていた大嶽城・丁野城も織田方の猛攻で落とされてしまいます。
これを見た朝倉軍は意気消沈し撤退を開始します。しかし、織田軍はこの機を逃さず追撃を開始。刀根坂で朝倉軍に追いつき、逃げる朝倉軍と激戦が展開されました。この刀根坂の戦いで朝倉軍は3千人の兵を討ち取られ、名のある武将も次々と討死を遂げました。この時、信長に美濃を追われ、朝倉家に身を寄せていた斉藤龍興も討死しています。
命からがら一乗谷に逃げ延びた義景でしたが、切腹を押しとどめ再起を図ろうとの朝倉景鏡の勧めで、その領地・大野に母親の光徳院、愛妻の小少将、愛息の愛王丸と共に落ち延びました。
こうして主を失った一乗谷は、住民達も我先にと逃げ出し廃墟となりました。織田軍は朝倉氏を殲滅すべく、無人と化した一乗谷へ派兵し火を放って焼き払いました。火は三日三晩に渡って燃え続けたといいます。
現在の一乗谷朝倉氏遺跡はこの後、400年以上もそっくり埋もれてきた戦国時代の城下町を発掘、整備しています。一乗谷を中心に2キロ四方くらいの規模を特別史跡に指定し、現在も発掘が進められています。
大野に逃げ延びた義景でしたが、肝心の朝倉景鏡が変心して逆に200の兵を持って義景の居所、六坊賢松寺を囲みます。
命運の尽きたことを悟った義景は、もはやこれまでと自刃しました。享年41歳。
辞世、「七転八倒 四十年中 無他無目 四大本空」
この時、愛王丸や小少将、光徳院は捕らわれの身となりました。
義景自刃の後、朝倉景鏡は義景の首を差し出し信長に降伏。朝倉景健を始めとする朝倉氏の一族と重臣の多くもこれに習い、信長は越前一国を掌中に収めました。
また、愛王丸 、小少将、光徳院は信長の命令で処刑されました。ここに朝倉本家の血筋は途絶え、朝倉氏は滅亡の憂き目を見ることとなったのです。
章之進
「ゼハーゼハー!死に物狂いで逃げ出して来ましたが、一乗谷は火の海ですぞ!」
彦右衛門
「今回もまた労多くして、得るものなしだったのう。」
俊丸
そしらぬ顔で、
「まあまあ、皆命が助かっただけでも良かったデブ。」
幸之助
「その通りダニ。しかし、このような奸計を用いるとは、朝倉義景め、放っておくわけにはいかぬダニ。」
義左衛門
「うむ、そのことじゃが、朝倉景鏡は一門衆にもかかわらず、義景の煮え切らぬ采配振りに愛想をつかしておるようじゃ。俊丸の情報によれば、景鏡が自分の領地に義景をかくまっておるとのこと。寝返りをもちかけてみれば面白うござる。」
彦右衛門
「では早速俊丸に動いてもらうことに致そう。」
俊丸
「了解デブ!」
(うーん、拙者の失火で思わぬことになったデブ。ま、いっか!)
数日後、
俊丸
「朝倉景鏡殿を寝返らせることに成功したデブ!ついでに、景鏡殿の手勢と共に朝倉義景の居所へ行き、自撮させたデブ!」
義左衛門
「おお、でかした!これで越前はひとまず安泰にござりまするな。」
彦右衛門
「うむ、しかし100年に渡る栄華も滅びれば一瞬の事じゃのう。我らも人ごとではないぞ。」
幸之助
「確かに、その通りダニ。しかし、栄えればやがて滅びる。いつまでも良い時は続かないんダニ。我らもゆっくりと領土を拡張して、ゆっくりと治めていけばいいんダニ。」
章之進
「良き事はかたつむりの速度で進む、でござるな。」
俊丸
「お、章之進殿がまともな事を言ったデブ!でも、その格言は天竺のガンジーさんじゃないデブか。」
彦右衛門
「どこもかしこも、しっちゃかめっちゃか……。」
義左衛門
「まあまあ、これからはあっちゃこっちゃしますから、もっともっとしっちゃかめっちゃかですぞ。」
彦右衛門
「そりゃそうだね。日本全国のお城の攻め撮りを大目標にしてるんだからねぇ。しかし、物語にするのが大変だぞ。」
幸之助
「それは彦右衛門様のお仕事ダニから、我々は関知しないダニ。そんな内情は隠しておくダニ。武士は食わねど高楊枝、外は虎の皮、内は犬の皮ダニ。」
俊丸
「今度は武士道の『葉隠』デブか。今回は皆の空っぽの教養から、これしかないというものを聞いてるようデブ。」
章之進・幸之助
「空っぽなのは、お前の頭じゃ!今回の火事、お主のおらぬ間に調べてみたら、お主の寝所から火が出ておるではないか!」
俊丸
「げ、ばれてたデブ〜!」
義左衛門
「あ、また逃げ出した。我々も撤収いたしましょう!」
彦右衛門
「よし、皆の者、撤収じゃ!!」
義左衛門
「さあ、着きましたぞ。早速攻め撮って参りましょう。まずは朝倉義景の居館前の広場ですな。」

真ん中に立つ木の手前が柳の馬場、その向こう側、唐門の前が犬の馬場である。朝倉館の周辺には一族の居館もあり、一乗谷の中枢部である。
章之進
「ほほう、広い馬場ですな。出陣前の閲兵などに使えそうですのう。」
幸之助
「次は、朝倉館の唐門ダニ。」

朝倉義景の菩提を弔うために設けられた松雲院というお寺の正門。向唐門形式で江戸時代前期の建物である。豊臣秀吉が朝倉義景の善提を弔うために寄進したものと伝えられている。門の表には朝倉家の三ツ木瓜、裏には豊臣家の五三の桐の紋が刻まれている。

彦右衛門
「ほっほう、見事な門構えじゃのう。ここまで整備した城下町をあっさり捨てて逃げ出すとはのう。もったいないもったいない。」
章之進
「確かに、彦右衛門様なら最後までやだやだって駄々をこねてるでしょうね、アハハ………う、すいません。」
彦右衛門
「ゴホン、分かっていればよろしい。」
義左衛門
「しょうもないやりとりは止めて朝倉館に入りますぞ!」


南側の山城を背に、西向きに入り口の唐門がある(唐門の右側の隅が北方向)。正面の土塁の両隅には隅櫓が設けられていた。内部には10数棟の建物が建ち並び、南西側に主殿(復元図左側の大きな屋根の建物)を中心として数寄屋・庭園等があり、接客用に使用されていた。
北東側は、常御殿(復元図右側の大きな屋根の建物)を中心にして日常生活の場となっていた。ここに台所・湯殿などもあった。
彦右衛門
「ううむ、素晴らしい!さすが越前に100年の栄華を築いただけのことはあるのう!」
俊丸
「彦右衛門様!これくらいで驚いてはいけないデブ!どうやら、素晴らしい庭園が裏にあるようデブ。」
彦右衛門
「おお、物見をして参ったか。またいたずらをしておるのではあるまいな?」
俊丸
「もうやってないデブ!ささ、庭園を見るデブ!」


朝倉館の周りには、南陽寺跡庭園、湯殿跡庭園、諏訪館跡庭園といった見事な庭園が在る。中でも、この諏訪館は朝倉義景の妻・小少将の館で、その庭園は遺跡の中でも最も大きな規模を誇る。
上下二段の構成になっており、下段の滝副石(たきぞえいし)は高さ413センチで日本最大である。
彦右衛門
「むうう、また見事な館に見事な庭園。南側の中の御殿跡が義景の母親・高徳院の居館があった場所じゃな。そして、さらにその南側が諏訪館跡、義景の愛妻の居館か。」
章之進
「こんなええもん建てたら、ここから出たくなくなりますわな。しかも、愛妻付きだし……彦右衛門様とはえらい違いですのう、ホエホエ。」
彦右衛門
「ぬ、ぬ、ぬ、うるしゃいやい!名門の家に産まれてたら拙者だって拙者だって!」
幸之助
「既に発言が負け犬ダニ。悲しいダニ。」
彦右衛門
「お、お前ら、家来のくせに家来のくせに……ひーん、しくしく。」
義左衛門
「まあまあ、もう彦右衛門殿も一介の野武士から、数カ国に版図を広げる大名でござりまする。そう卑下することもござりますまい。天下人も夢ではござらぬぞ。」
彦右衛門
「その通り!もっと敬え、愚か者どもめ!」
俊丸
「立ち直りが異様に早いデブ。」
彦右衛門
「よっしゃ!これより背後にある一乗谷城を攻め撮るぞ!」

標高473メートルの山に位置し、一の丸、二の丸、三の丸、千畳敷などの御殿群、曲輪群がある。昔の足軽は緊急時には15分で山頂まで駆け上ったそうである。結局一度も戦闘に使われないまま、織田の手に落ちてしまった。
章之進
「あれ、彦右衛門様!こんな看板が!」

俊丸
「拙者の内偵では、春先は熊が出て危ないから、山登りは気をつけろと地元の人に言われたデブ。ま、城詰めの足軽は、緊急時には15分程で山上まで登るそうだから、熊に出会う確率もそう高くないデブよ。」
彦右衛門
「………………。しょ、章之進(上ずった声で)!お主に手柄を与えてやろう。さっさと攻め撮って参れ!」
章之進
「い、嫌ですよ!今さっきまで威勢のいいこと言ってたんだから、ご自分で行かれてはどうですか?私はこちらで彦右衛門様の勇姿を目に焼き付けておきとうござる。」
幸之助
(なすりあいが始まったダニ。こんな危険な場所に行かされてはたまらんダニ。)
コソコソコソ……。
義左衛門
「ああ、幸之助!お主、どこへ行く気じゃ?まさか自分1人逃げる気ではあるまいな?」
幸之助
ギクッ!
「そ、そういう義左衛門殿こそ、ご自慢の知恵で攻め撮って参ってはいかがダニか?」
こうして攻め撮りのなすりあいが半刻(1時間程)続き
彦右衛門
「はい、攻め撮りは今回は断念しまっす!熊の出ない季節にまた攻め撮ることに致す!ま、朝倉軍も叩いたし、誰もおらんから大丈夫であろ。」
一同
「誰も痛まぬ名御裁きにござりまする、へへー!」
彦右衛門
「よし、今日はこれまで!一乗谷でゆっくり休んで鋭気を養うのじゃ!」
彦右衛門勢
「エイエイオー!」
その夜
俊丸
「いやー、住民共がたくさん食糧を置いて逃げ出したお陰で、食べる物には事欠かないデブ。」
モシャモシャハグハグ
俊丸
「食った食ったと、後は寝るだけ………ググゥ。」
パチパチ
俊丸
「うーん、むにゃむにゃ、熱いデブ………ん?ああ!しまったデブ!また火の不始末をしでかしたデブ!!け、消せないデブ!ここは……。」
俊丸は外に出て叫び始めた。
俊丸
「朝倉方の残党が火を放ったデブ!方々、起きてすぐに退却をするデブ!火のまわりが異常に早いデブ!」
彦右衛門
「おお!皆、退避致せ!火は下城戸の方からか!上城戸に向かって逃げるのじゃ!道理であっさり一乗谷を明け渡したと思うたら、こんな置き土産を考えておったとは!」

俊丸
「今回はうまく騙せたデブ。一件落着!後は知らないデブっと!」
義左衛門
「さっさと逃げ出したようにござりますな。」
彦右衛門
「なんと他愛のない奴じゃ。女や歌舞音曲にうつつを抜かしておるから、このようなことになるのじゃ!」
彦右衛門の周りの兵達
(そういうお前も唐津で羽根を伸ばしとったろがい!)
「へラヘラヘラ、いや、全くその通りにござりまする。」
彦右衛門
「む、気になる笑い方をしよる……。まあええわ。さて、一乗谷は主を失って上を下への大騒ぎになっておるようじゃ。さっさと兵を入れて攻め撮ってくれる!もう守備する兵もいないから楽なもんじゃぞ、にゃははのは!」
義左衛門
「一時は1万人以上の人々が住んでいたという町。楽しみにござりますな。」
章之進
「さっさと参りましょうぞ!」

正面の山の上が一乗谷城である。正面の山に突き当たって右に行くと一乗谷の町がある。
幸之助
「見えてきたダニ。」
俊丸
「彦右衛門様!一乗谷の図を手に入れて参りましたぞ!」

彦右衛門
「よし、まずは下城戸から町に入ることに致す!」


東西の山が迫り谷の幅が約80メートルと最も狭まった所に造られた防御施設。この先1・7キロの地点にある上城戸と併せて、城戸ノ内を区画していた。
幅10メートル、深さ3メートルの堀と、幅15メートル、高さ4・5メートルの土塁で構成されており、出入口には重さ10トンを超す巨石を用い、中には重さ40トンを超える巨石も使用されている。
入ってすぐの場所には小規模の屋敷が連続して発掘されており、商人や職人の町家があったと考えられている。
彦右衛門
「逃げ出してくれて助かったかもしれんな。相当に厳重な守りではないか。」
義左衛門
「全くにござりまする。しかし、さすが100年に渡って繁栄してきた町ですな。石組みも巨石を用いて豪壮な造りですぞ。」
章之進
「一乗谷川に沿って進み、町並みを見て廻りましょうぞ。」


戦国時代の町並が再現されている。左側は武家屋敷群となっており、身分の高い武将の居館が並んでいた。右側には、それより身分の低い武将の武家屋敷や商人、職人の家が復元されている。


彦右衛門
「うーむ、どいつもこいつも見事な居館を構えおって!」
幸之助
「あ、貧乏野武士出身のひがみ根性が出てるダニ!」
彦右衛門
「う、うるしゃい!それより、既に住民共が逃げ出しておるようじゃ。どら、1つ門を潜ってみるかのう。」
章之進
「お、丁度武家屋敷がありますぞ。」

彦右衛門
「御免!邪魔するでぇ!」
???
「邪魔するんやったら帰ってぇ!」
彦右衛門
「はぁ〜い、って、なんでやねん!」
俊丸
「引っ掛かったデブ!伊賀忍法木霊返しの術!」
章之進
「遊びなさんなって!向かいの武家屋敷よりも小さいですな。身分のあまり高くない侍の屋敷でしょう。」

彦右衛門
「うむ、おお?章之進の大好きなものがあるぞ!」

便所はなぜか門を入ってすぐ右手にドーンとある。入り口を向いて用を足すようになっており、近くに居た職員の話だと不意に襲われても対処できるようにとの配慮ではないかとのことである。
俊丸
「なにせ、ウンコ之進デブからね、くっくっく。」
章之進
「むうう、この素デブが……今に見ておれ!」
彦右衛門
「さてと、母屋の方に入ってみるかのう……うおぅ、人がおるではないか!」


俊丸
「またまた引っ掛かったデブ!伊賀忍法傀儡使いの術!」
章之進
「ぬうう、いたずら者め!懲らしめてくれるわ!」
俊丸
「お助けデブ〜!」
義左衛門
「ああ、町の反対側へ行ってしまった……。我々も町の真ん中に流れる一乗谷川を渡って東側に行ってみましょう。朝倉義景の居館や一乗谷城がありますぞ。」


町の真ん中を南から北に流れる一乗谷川。足羽川(あすわがわ)に流れ込んでいる。南の方へ行くと上城戸があり、そこを越えると佐々木小次郎が修行したという富田勢源道場跡や燕返しを編み出したという一乗滝がある。
義左衛門
「さて、のんびりしている場合ではございませぬぞ。更新が遅いと読者の皆様も不満を持たれましょうほどに。」
章之進
「えー、まだ唐津のうまいもんも食い足りんし、せっかく茶道具の勉強もしようかと思ったのにぃ。」
義左衛門
「またゆるりとすればよろしかろう。今度は唐津から遥か東、越前は一乗谷に兵を向けますぞ!」
彦右衛門
「げ!また遠いのう。もうちょっと唐津で遊んで行きたかったのに……。」
義左衛門
(何考えとるんじゃ、この大将は?)
「越前にも面白いものはたくさんあると思いますぞ。」
彦右衛門
「よっしゃ、行くか!」
俊丸
「相変わらず身変わりが早いデブ。」
彦右衛門
「黙らっしゃ〜い(吉本の末成由美風に)!それでは、韋駄天の術!えいえいえ〜い!」
彦右衛門勢
「えいえいひえ〜いざん、延暦寺!織田に焼かれて火がポッポ!」
章之進
「うーん、相変わらず我が軍の息はピッタシですな!」
その頃、越前一乗谷
朝倉景鏡
「ご注進!彦右衛門勢、越前に向かって進軍中!」
朝倉義景
「ぬ!西の方でごそごそやっとると聞いてはおったが、遂に一乗谷に鉾先を向けてきたか!しかし、我が朝倉氏は越前の名門。そこいらの野武士上がりにやられるわけにはいかぬ。出陣じゃ、刀根坂で迎え撃つぞ!」
小少将
「あなたぁ〜ん、そんなに殺伐とした戦場にお出でにならずとも、朝倉氏は盤石でござりましょうに……。」
義景
「う、う〜ん、そんなこと言わないでよ〜。僕の愛しの小少将ちゃ〜ん!ちゃんと迎え撃たなきゃ、一乗谷が落とされちゃうんだから!」
小少将
「んもう、しょうがないわねぇ。さっさと片付けて帰ってきてよ!」
義景
「うん、僕ちゃん、頑張っちゃう!」
朝倉景鏡
「…………………。」
(こりゃダメだな。今回の出陣は見合わせておこう。)
「あのぅ、私めは後方の自分の領地をがっちり固めたいので、今回の出陣はご遠慮させて下さりませ。」
義景
「あ、そう。では、がっちり後方を固めておれ。野武士上がりの軍勢など蹴散らして、すぐに戦勝報告をしてやろうほどにのう、わっはっは。」
刀根坂にて両軍対峙
彦右衛門
「かかれ、かかれい!京かぶれの朝倉なぞは弱兵じゃ!連戦連勝の我が軍の勢いを見せてやれ!」
幸之助
「撃って撃って撃ちまくるダニ!敵が崩れたら槍襖を作って突撃するダニ!」
彦右衛門勢
「オオーーー!」
歴戦の兵が揃う彦右衛門勢にかかっては、名門・朝倉氏の軍といえども持ちこたえられなかった。あっという間に打ち破られた朝倉軍は退却を始めた。
彦右衛門
「一気に一乗谷へ攻め入るぞ!」
義左衛門
「それ!朝倉義景を討ち撮れぃ!」
朝倉義景
「ひえぇぇ、小少将ちゃ〜ん、負けちゃったよ〜!」
朝倉景鏡
「大敗にござりまするな。既に、我が軍の中核を担うべき武者共も討ち撮られておりますれば、一乗谷での抵抗は叶いますまい。一旦、拙者の領地・大野へお引きなされて、再起を図りましょう。」
こうして義景と愛息・愛王丸、愛妻・小少将は、わずかの供回りの侍と共に朝倉景鏡の領地・大野へと落ちて行った。




