日本の城  日本の城乙子城 備前 五
日本の城を写真にて攻め撮るのでござる。おかしな物語と共にいざゆかん戦国無双の城撮り名人の道!
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日本の城を攻め撮れー城撮り物語ー

義左衛門
「ようやく動員可能兵力が二千を超えましたな。今回は力攻めにて高取山城の西にある小城、乙子城を攻め撮ることに致しましょう。」


彦右衛門
「おお、ようやく真正面からの正攻法で攻め撮れるのか。腕が鳴るのう。」


俊丸
「では、先行して城内かく乱をしてくるデブ!」



 ドスドスドスドス、スタァーン!



章之進
「何ですか、あの異物は?私が間者で出ている間に、とんでもないのが来ましたね。」


彦右衛門
「伊賀の俊丸じゃ。ちと訳ありで我が軍の為に働くこととなった。いずれは切り札になるやもしれんぞ。」


章之進
「確かに、動きは素早いですな。さすが伊賀者だけのことはある。しかし、あの体型はないでしょう。」


義左衛門
「まま、今回の働きを見れば、真の能力が分かるでしょう。我々も陣容を整えて出陣致しますぞ。」


乙子城 東側より見る 真ん中のこんもりした部分が本丸跡

乙子城


義左衛門
「着きましたぞ。まずは軍勢を4段に配置致しましょう。城主は宇喜田直家めにござりまする。手勢を集めて我が領内で辻斬り、強盗を働きおる由、油断は禁物ですぞ!」


彦右衛門
「あれ、この前、暗撮したじゃんか?」


章之進
「まあ、写真で撮っただけじゃあ死にはしないですよね。魂を抜かれたってギャアギャア騒いでましたけど、うるさいから解き放ったらどっかに行っちゃったんですよね。まさか、ここに来てるとわ!」


彦右衛門
「コラ!ここでこの企画を根底から否定するような発言をするな!」


義左衛門
「まあ、企画が面白くなるから逃がした事はよいでしょう。」


章之進
「つーか、あんたが逃がせってゆうたんやんけ!」


義左衛門
 ギクッ

「ささ、攻撃、攻撃と。」


彦右衛門
「あのぅ、義左衛門さん、話をあまりややこしくしないでね。それと、面白くしてくれるのはいいんですけど、危険な目にだけは遭いたくないんすけど……。」


義左衛門
 知らない顔をしつつ

「では、攻撃命令を!第一段から順繰りに攻撃にかからせるのです。新手、新手を繰り出して一気に攻め撮りますぞ!城兵は30人から50人程度。大した事はありません。」


彦右衛門
「よし、かかれ!」


城下の岩盤

岩壁


彦右衛門
「天然の要害じゃのう。しかし、平地にポツンと浮かぶ小城一つ落とせんようでは、これからが大変じゃ。敵の人数は少ないから、一気に行けばあっという間じゃ!」


彦右衛門勢
「オオー!」


登城途中にある乙子神社

乙子神社


本丸への道

本丸への道


俊丸
「おお、彦右衛門様!予め、一万の大軍と流言を放っておきました故、直家以下、本丸に引いて立てこもってるデブ!それとこれが城の縄張りデブ!」


乙子城縄張り

縄張り


義左衛門
「でかした!これで攻め撮るのが容易になったぞ!搦め手は兵を回さず逃げ道を開けておいてやれ!ここで手痛い反撃を喰らって、兵を無駄に失うのは下策じゃ!」


俊丸
「では本丸の門を開けてくるデブ。」



 ドスドスドスドス、ドシーン!メリメリ、ズ、ズーン!!



俊丸
「開いたデブ!」


彦右衛門・章之進
「うーん、それは開けたというより、壊したという方が正しいような……。」


義左衛門
「おお、直家主従が逃げて行きますぞ!」


彦右衛門
「追撃はよい。このまま逃がしておけ!」


本丸跡

本丸跡


本丸跡の土塁

乙子城本丸土塁跡


 攻め撮り成功!


彦右衛門
「件の曲者といえど、今回は策も立てられなんだようじゃな。」


義左衛門
「俊丸の流言が効いてござりまする。大した抵抗もできかねたようにござりまする。」


彦右衛門
「うむ、良き働きをしてくれたもんじゃ!」


俊丸
「あ、ご丁寧にごちそうを置いていったままにしてるデブよ!しかも、『お早めにお召しあがり下さい!』だって!早速頂くデブぅ!!」


 モシャモシャ、モフモフ、


彦右衛門・章之進
「あ、そのごちそうは………。」


俊丸
「ムギュ、ブヒィ!お、おえーっ!ど、ど、ど、毒デブぅ!解毒剤、解毒剤!早くぅ!!」


義左衛門
「ほれ、こんなこともあろうかと持って来ておいて良かったわい。しかし、その食い意地をなんとかせんとのう。それにブヒィって、くくく。」


一同
「わっはっは!」


俊丸
「危うく死にかけたデブ!笑い事じゃないデブ!!」


本丸から西を望む 戦国時代は対岸は海だった(下の地図参照)

東を望む


義左衛門
「西と南に瀬戸内海を見ることができますぞ。海運も開けて、経済力をますます強化できましょう。」


昔の地形図

昔の地形


乙子城案内板

乙子城説明




<乙子城>


 宇喜多直家は、播磨で行われた浦上宗景と赤松晴政との戦いにおいて、15歳で初陣を飾り見事に兜首をあげる大手柄を立てます。その後も宗景の下で軍功を立てた直家は、浦上家の最前線である乙子城を守る事を願い出ます。


 乙子城は浦上家の勢力範囲の南西最前線に位置し、海に囲まれていたため、敵対勢力や海賊の格好の的となる小城でした。そのため、家中の誰一人としてこの城を守ろうとする者はいませんでした。


 祖父能家の旧功と直家自身の軍功もあり、直家の願いを聞き入れた宗景は、300貫の所領(石高で約3300石)と30人の足軽を付けて乙子城を守らせることとしました。1万石で250人の動員可能兵力と概算すると、80人くらいの動員可能兵力を持てる経済力ということになります。


 直家はこの城を与えられると、宇喜田能家の家臣だった者に声をかけ手勢を集めます。しかし、多くなった手勢を養いきれる程の領地を持っていなかったため、家臣達は自ら耕作を行い、月に3度から5度は1日中絶食したり、近隣の松田氏の領内へ夜盗や辻斬りに出向いたりなどして出陣の時の兵糧を蓄えました。また、度々襲撃してくる海賊の撃退も見事にやってのけました。


 こうして直家と家臣達は艱難辛苦に耐えつつ力を蓄えていき、砥石城の攻防戦に臨むことになるのです。




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