日本の城  日本の城岩屋城 美作 七
日本の城を写真にて攻め撮るのでござる。おかしな物語と共にいざゆかん戦国無双の城撮り名人の道!
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日本の城を攻め撮れー城撮り物語ー

義左衛門
「続いての目標は、美作中央に位置する岩屋城に致しましょう。城主は宇喜田直家の伯母聟にあたる浜口家職という武将にござりまする。」


彦右衛門
「まだまだ宇喜田の勢力が続くのう。」


義左衛門
「我らの土台となる地域でござりますゆえ、各城を確実に攻略せねば安心して遠征もできますまい。岩屋城は出雲街道を抑える要衝にて、美作の中央に位置しておりますれば、ここを抑えることが美作経略の要となりましょう。」


彦右衛門
「よし、兵を集めよ!またしても韋駄天の術じゃ。あ、そおーれそれそれ!」


彦右衛門勢
「あ、そおーれそれそれ、わきもそれ!それは村上ショージ兄さんのギャグやろがい!」


俊丸
 コケッ

「相変わらず気の抜けた掛け声デブ。思わずズッコケたデブ。高速でこけると大けがの元デブよ!」


章之進
「お主には分厚い肉のエアーバッグがついておるから問題なしじゃ!それにこの感動的な掛け声を、気の抜けるとわ!全くセンスのない奴じゃ!」


 ギュイーン、ギュンギュンギュン、ダダダダダ!


写真は拡大致し申す
岩屋城遠景
岩屋城を西から望む 馬場跡の奥が本丸跡


義左衛門
「着きましたぞ。まずは西の麓の2つの砦を攻め落としましょう。俊丸は城内を偵察して参れ!」


俊丸
「了解デブ!」


彦右衛門
「よし、先手を二手に分けて、同時に荒神の上砦と妙福寺の上砦を攻め落とせ!この二城塞は、互いに連携して片方へ寄せればもう片方から兵を出して背後側面をつく作りのようじゃからのう。」


義左衛門
「御明察恐れ入りまする。」


 一刻後(約二時間後)


彦右衛門
「よし、二砦を攻め撮ったり!」


 岩屋城より城主浜口家職がこれを眺めて


浜口家職
「むう、早くも二砦を破られたか!聞けば直家も簡単に城を乗っ撮られたと聞く。しかし、いかな城撮り名人とはいえ、この岩屋城は落とせまい。二砦からの兵を収容せよ!次の砦で防戦致すのじゃ!」


荒神の上砦
岩屋城馬場跡より二砦を望む
砦の向こう側が出雲街道(現国道181号線)

彦右衛門
「よし、続いて二砦の間にある谷へ兵を進めよ!各屋敷を攻め撮って、今後はここから本城を伺ってくれる!」


保田屋敷跡

仁反田屋敷跡

原田屋敷跡


章之進
「攻め撮りましたぞ!」


彦右衛門
「よし、では登城口まで兵を進めるのじゃ!」


登山口
登山口


俊丸
「ただ今戻りましたデブ!城の縄張りを手に入れてきたデブよ!」


城の縄張り図
岩屋城縄張り図


彦右衛門
「でかした!では兵を二手に分けるぞ。義左衛門と章之進は奥の三の丸に続く攻め口を頼む。主力の我が隊は慈悲門寺付近の砦を攻めかけよ!」


義左衛門・章之進
「承知つかまつった!」


彦右衛門
「一気に落とすのじゃ!慈悲門寺には傷を付けぬように致せ!坊主がおれば逃がしてやれい!勅賜の寺号を持つ平安時代からの古寺じゃ。今後は朝廷との関係も考えねばならんからのう。」


慈悲門寺下の砦跡
慈悲門寺下の砦跡

慈悲門寺西の砦跡
慈悲門寺西の砦跡

慈悲門寺跡
慈悲門寺跡
 開祖は円珍(819年~891年)で天台宗の寺と伝えられる。岩屋城と共に焼失。寺号は勅賜という。

慈悲門寺上の砦跡
慈悲門寺上の砦跡


彦右衛門
「なんたる急峻な地形に拠った要害じゃ!しかし、破竹の勢いの我が軍を止めることはできんのじゃ!続け、大手門まで攻め寄せるぞ!」


山王宮跡
山王宮跡
 山王大権現即ち近江日枝神社の祭神である。慈悲門寺の鎮守の神であったが、明治44年に鶴坂神社に合祀され、現在は小祠が祭られているだけである。山王宮までの道はとても険しく、一般の参拝者は写真を撮った場所にあった拝殿から拝んだそうである。


大手門跡
大手門跡


浜口家職
「ぬうう、はや大手門まで攻め寄せたか!皆の者、ここが勝負どころじゃ!絶対に引くな!ありったけの弓矢、鉄砲を御見舞いしてやれ!」


彦右衛門
「くそっ!反撃が激しいぞ!竹束や鉄盾を前に立てよ。身を隠して攻撃を凌ぐのじゃ!これでは門を壊すこともできんぞ。俊丸、急ぎ義左衛門の様子を見て参れ!」


俊丸
「行ってくるデブ!矢弾の的にならぬように、イノシシのフリをしていくデブよ。忍法猪変わりの術!ブヒッ!」


城兵
「おお、肥え太った猪じゃ!ついでに射て射て、後で持って帰って食糧にしてやる!」


 ズダダーン!ヒュンヒュンヒュン!


俊丸
 (汗) (汗) (汗)

「し、し、しまったデブ!お助け、ひょえええええ!」


彦右衛門
「あいつはアホか………。」




   その頃、三の丸方面


章之進
「おお、これは綺麗な道が中腹に向かってついておるではないか!それ、者共一気に駆け上がって攻め落とせ!」


義左衛門
「あっ、章之進よ、それは………。」


章之進
「うおおお、上から丸太や石が落とされてきたぁ!皆、横へ回避じゃ!」


章之進勢
「章之進様、横へは動きにくいようになっておりまするぞ!」


章之進
「あれま………って感心してる場合じゃなくて、後ろに引け引けぇい!」


章之進勢
「うわうわうわぁ、逃げろ逃げろ!」


義左衛門
「いかん!城兵が勢いに乗って討って出て来ぬよう、備えを厳重に致せ!」


義左衛門
「章之進、大丈夫か?全く、いつもお主は後先考えずに攻め込むのう。あれは畝状の空堀群じゃぞ。山腹に道がついているように見えて、その実は寄せ手の横移動を妨害し、上からの攻撃をやりやすくする設備じゃ。ここは死地ゆえ、三の丸には空堀を迂回して攻め上がるのがよかろう。」


てのくぼり跡
てのくぼり跡
   土地の人がてのくぼりと呼ぶ畝状空堀群で、幅5メートル、深さ2メートル、長さ100メートル以上の竪堀が12本掘られている。敵の横移動を妨害することができ、山腹防御の上で非常に有効であったので、戦国時代の山城に多く用いられている。これ程大規模なものが、はっきりした形で残っているのも珍しい。


章之進
「ぬうう、攻め上がってはみたものの、三の丸も固く、二の丸の下には見たこともないような大堀切があるのう。これでは手も足も出せんではないか!」


大堀切
二の丸下の大堀切
深さ4メートル以上はあろうかという大きな堀切である

大堀切から二の丸を望む
大堀切から二の丸を望む

俊丸
「おおーい!彦右衛門様も大手門で攻めあぐねておりまするデブ。どう致すか、様子を見て参れと仰せデブ。」


義左衛門
「むう、俊丸よ、何か良い策はないかのう。もう一度縄張りを見てみるか。」


城の縄張り図
岩屋城縄張り図

義左衛門
「ふむ、本丸の防御はどうなっておる?」


俊丸
「北側の背後に峻険な崖を控えており、鉄壁にござりまするデブ。」


義左衛門
「ということは、ここは警護が手薄なのではないか?」


俊丸
「確かに、城主の浜口家職とその一門がおるくらいにて、城兵の殆どは大手門やこちらに出張っておりますデブ。」


義左衛門
「よし、この大功は章之進にしか出来ん。まずは本丸の北に位置する石蕨砦を攻略いたせ。その後、決死隊を率いて本丸の北側にある崖からよじ登り、本丸へ奇襲をかけよ。合図の狼煙が上がれば、それに呼応してこちらも一気に攻め上がるからのう。」


章之進
「また拙者でござるか?もう勘弁して下さいよ!身がいくつあっても足りないっての。」


義左衛門
「今度の褒美は何だろうなぁ?章之進の大好きなもんじゃないのかなぁ?」


章之進
「その手にはもう乗りませんぞ!」


俊丸
「彦右衛門様が機動戦士ZガンダムII -恋人たち-iconを章之進に与えたいって言ってたブ!」


章之進
「やりまひょ!拙者が行かずして誰が行く?章之進勢の精鋭数百人は我に続けい!まずは、城の北側の石蕨砦を落とすのじゃ!」


俊丸
(しめしめ、引っかかったデブ!本丸の難所攻めには、もう一つ………。)


石蕨砦跡
本丸より石蕨砦跡を望む

浜口職家
「おお、とうとう石蕨砦も落とされたか!しかし、この本丸を中心とした岩屋城中心部は鉄壁じゃ。少々の大軍では落とせるものではないぞ!」




   その頃、石蕨砦にて


章之進
「よし、では決死隊を募るぞ。25歳以上から40歳までの者に限る。そちとそちと、………人数は32人じゃな。よし、崖に取り付いて登っていくのじゃ!」


 半刻後(約1時間後)


章之進
「ようやく本丸下の崖に取り付いたのう。声は立てるなよ。悟られては一大事じゃ!静かに静かに登っていくのじゃ!」


 不意に上の方で、シャーーーーッ、ブリブリブリ!


浜口職家
「あー、快便快便!今日も敵方をさんざんに打ち据えてやるかのう、わっはっは!」


章之進の家来
「大丈夫ですか、章之進様?」


章之進
「く、くさーー!何食ったらこんな臭いになるんじゃ?う○こだけに、クソー!絶対に許さんぞ、浜口め!………うまいな俺!!」


家来
「……………。」


 決死隊32人はなんとか崖をよじ登り、塀を越えて本丸内に侵入した。


章之進
「何じゃ、これ、落とし雪隠って、本丸の便所ではないか?くそー、俊丸め、わざとこの事を伏せておいたな!」


落とし雪隠
本丸北側の落とし雪隠

本丸北側の絶壁
北側の絶壁を横から望む

章之進
「よし、合図の狼煙を上げよ。浜口を探し出して討ち撮ってくれるぞ!」


浜口職家
「そこにおるのは誰じゃ!ぬ、敵方がなぜここにおる!?しかも、お前臭いぞ!」


章之進
「臭いのはお前のせいじゃ!城将浜口殿とお見受け致した。御写真頂戴つかまつる!」


 パシャパシャパシャ!


章之進
「浜口職家討ち撮ったり!」


 本丸への奇襲を受け、城主を失った城兵は動揺した。


彦右衛門
「おお、あれに見えるは合図の狼煙!者共続け!一気に攻め撮るぞ!」


水門跡
水門跡

龍神池
龍神池

 嘉吉元年(1441年)、山名教清による岩屋城築城の折、山名氏の本拠である伯耆国赤松池にならい、この池を作り祭神をこの城の鎮守として祀ったと伝えられる。


彦右衛門
「よし、これが龍神池じゃな。これで水の手は撮ったぞ。落城もすぐじゃ!次は馬場を目指せ!二の丸、三の丸は義左衛門に任せよ!」


本丸跡から馬場跡を望む
本丸跡から馬場跡を望む

章之進
「おお、彦右衛門様が攻め上ってこられたぞ!皆の者、後少しの辛抱じゃ!存分に暴れ回れ!」


32人の勇士
「おおーーー!!」


馬場跡
馬場跡

 地元の人が「馬場跡」と呼ぶ本丸付近では最大の曲輪。岩屋城の大手筋から津山方面を見渡すことのできる位置にあり、南北108メートル、東西20メートルの規模を誇る。
 左に行けば石橋上の砦へ至り、途中には堀切や土塁が残っている。


  彦右衛門
「西側の石橋上の砦も攻略せよ!兵を二,三百程差し向けて落とせ!」


石橋上の砦跡
石橋上の砦跡

 時を同じくして二の丸、三の丸付近


義左衛門
「大手門でも攻撃が始まったな。こちらも一気に攻め撮るぞ!まずは兵を二手に分けて、二の丸と三の丸を攻め撮れ!」


三の丸跡
三の丸跡

 地元の人は山王丸と呼んでいたらしいが、その呼び方から三の丸であろうと推測されている。


二の丸跡
二の丸跡

本丸東砦跡
本丸東砦跡

彦右衛門・義左衛門
「急ぎ本丸へ駆けつけ章之進に加勢するのじゃ!」


本丸跡
本丸跡 右側が落とし雪隠

彦右衛門
「よーし、よくやった!とうとう要衝岩屋城を攻め撮ったぞ!!」


彦右衛門勢
「エイエイオーーーー!!」


彦右衛門
「ところで、章之進君、ちょっと臭くないか?」


俊丸
「章之進ではなくて、う○こ之進デブ。くっくっく!」


章之進
「俊丸、貴様はめよったなぁ!」


俊丸
「デブをバカにした報いデブ!」


彦右衛門
「まあまあ、城も落ちたし喧嘩は止めよ、う○こ之進!」


一同
「わっはっは!」


章之進
「…………むうう!」




 その夜、


俊丸
「さあ、飯デブ!今日は一杯働いたから一度や二度の飯では、身体が持たないデブ。皆寝静まっておるが、拙者は鍋でもして食べるデブよ。」


 モシャモシャ、モグモグ


俊丸
「お腹一杯デブ!ささ、食ったら寝るデブ!」


 ググウ………


 暫くして、


俊丸
「アチッ!ああ、鍋の火がいつの間にか燃え移ってるデブ!うっきゃー、消さねば!」

 (汗) (汗) (汗)


俊丸
「む、む、む、無理デブ!こうなったらシラを切り通すデブ!」


 瞬く間に火は燃え広がり、岩屋山全体を覆った。


彦右衛門
「残敵の仕業か!急いで兵を安全な場所へ移すのじゃ!」


義左衛門
「はは!しかし、一体どこに潜みおったのやら、油断も隙もございませんな!」


俊丸
「ま、ま、ま、全くデブ!この俊丸様の隙を突くとは、とんでもない奴デブ!」


章之進
「俊丸よ、何でそんな汗かいてんの、お前?」


俊丸
「デ、デブは汗かきと決まってるデブ!」


一同
「さてはお前の仕業か!」


俊丸
「バレたデブぅ!ごめんなさーーーい!」


 ドスドスドス、スタタタタ!


章之進
「全く逃げ足だけは素早いのう!帰ってきたらお灸をすえてやらねば!」


義左衛門
「全くじゃ、これだけ苦労したのに、全てパア………。」


彦右衛門
「まあ良いではないか。落としておけば、今後の美作経略は楽になるのじゃからのう。」





<岩屋城>


 岩屋城は出雲街道を抑え、美作の中心に位置する要害、岩屋山に築かれた大城塞です。


 標高483メートル、比高310メートルの位置に本丸跡があり、本丸跡の広さだけで東西60メートル、南北20メートルになります。美作争奪戦の中心にあったため、歴代の城主によって改修が重ねられたようで、本丸を中心に大小合わせて35以上の曲輪を配置していたようです。その規模は美作最大といっていいでしょう。


 この城の戦略的重要性から、室町時代から戦国時代にかけて、美作制圧を目指す山名、赤松、浦上、尼子、宇喜田、毛利氏が入り乱れて激しい攻防戦を繰り広げました。


 その始まりは、足利幕府六代将軍義教(よしのり)が赤松満祐(みつすけ)に謀殺された嘉吉の変(嘉吉元年=1441年)で、山名氏が赤松氏征伐に大きな戦功を立てた恩賞として、赤松氏が守護していた美作、備前、播磨の三ヶ国の守護に任じられ、当主の山名教清(のりきよ)が岩屋城を築いたときからです。


 後、応仁の乱で守護の山名氏が京都へ派兵した留守を狙って、確実な年は分かりませんが、応仁元年(1467)から文明元年(1469)の間に赤松氏が岩屋城を落とします。この応仁・文明の乱で守護に返り咲いた赤松氏は、大河原氏を岩屋城に配置します。


 時は下って永正15年(1518)、今度は赤松氏の家臣、浦上村宗が叛き、永正17年(1520)に岩屋城を攻撃します。城は数日で落城し、村宗は中村則久を城主にします。


 これに対し、赤松政村はその年4月、大河原、小寺氏らを派して岩屋城を包囲します。城攻めが半年に及び、兵糧も尽きて落城間近になった頃、浦上勢の先陣として宇喜田能家(直家の祖父)が2000騎で救援に駆けつけました。村宗も出陣し、岩屋城の南の茶臼山に陣取りました。長期戦になるかと思われた戦いでしたが、宇喜田能家の奇襲により大河原、小寺の軍勢は敗走しました。


 その二十数年後の天文13年(1544)、今度は尼子氏が攻め込み、中村則久の子で当時の城主中村則治は尼子氏の軍門に降ります。この時、城に監視役として尼子氏の武将芦田秀家が入りました。


 さらに二十数年が経った永禄11年(1568)、城主中村則治は、芦田秀家の子、正家に殺され、城主の座を奪われます。


 元亀年間(1570~1573)、芦田正家は、浦上氏を圧倒して備前の覇者となった宇喜田直家によって攻め滅ぼされ、代わって宇喜多直家の伯母聟に当たる浜口家職が城主になりました。


 やがて美作は尼子氏に代わり毛利氏の攻勢が強まります。岩屋城も天正9年(1581)に毛利方の武将、中村頼宗に攻められます。この時、頼宗は正攻法では攻め落とせないと踏み、決死隊32人を下は25歳から上は40歳の精兵に限定して募り、城の北側にある崖をよじ登り、落とし雪隠から塀を乗り越えて本丸に直接侵入。火を放って、油断していた城主、浜口職家とその一族を斬り、うろたえる城兵を斬り回ります。これに大手門側の兵も呼応して攻め寄せ、落城させました。以後、この中村頼宗が城主となります。


 翌、天正10年、高松城の水攻めの後、羽柴と毛利の和議で美作は宇喜田領と決まります。この和議を不服として、中村頼宗らの美作諸城を任された毛利方の武将は明け渡しを拒否します。


 このため、宇喜田方は花房助兵衛職秀(もとひで)らを派し、岩屋城を攻撃しましたが、堅固な上に毛利方も陰では城の接収を快く思わず援助していたことから、城攻めは数ヶ月に及びます。


 結局、足利義昭の調停という形で中村頼宗が退去し、天正12年(1584)に宇喜田方に引き渡されました。秀吉の威勢が強まった事で、毛利氏もさすがにマズいと思ったのでしょう。


 その後、天正18年(1590)、岩屋城は野火によって焼失し、そのまま廃城となりました。天下の趨勢は定まり、もはや山城の必要もなくなったことによるものでしょう。




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