日本の城  日本の城岡山城 備前 九の四
日本の城を写真にて攻め撮るのでござる。おかしな物語と共にいざゆかん戦国無双の城撮り名人の道!
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<岡山城>


 岡山城を接収した宇喜田直家は、手狭になった沼城から本拠地を移転することにしました。


 当時、岡山城の辺りは丘陵地帯で、現在の天守閣のある岡山、その西に石山、その北西に天神山と3つの丘陵が連なっていたそうです。


 宇喜田直家当時の本丸は石山(現在の二の丸)にありました。


 本拠地移転に伴い宇喜多直家は、当時北の半田山の麓を通過していた山陽道を南に付け替え、岡山城の城下町を通るようにしました。また、城下町には福岡の市や西大寺の市の商人達を移住させました。


 こうして岡山の町は宇喜多直家によって、発展の基礎が築かれることとなりました。


 しかし、商人を移住させられた福岡の市は、間もなく起きた洪水によって壊滅的な打撃を被り、以後福岡千軒と言われた活気を取り戻すことはありませんでした。


 因みに、この福岡千軒に住んでいたこともある黒田官兵衛の子、黒田長政は往時の福岡の繁栄振りを記憶に刻んでいたため、あのように繁栄して欲しいとの思いで自分の城下町を福岡と命名しました。これが現在の福岡県の名前の由来となっています。


 願いはかなって、福岡千軒どころの騒ぎではない九州一の大都市に成長していますね。宇喜田直家が現れないことを祈りましょう(笑)。





 時代は下り、宇喜田家は直家がこの世を去り、家督はその嫡子八郎(後の宇喜田秀家)に継がれます。直家は幼い八郎のことを思い、後事を織田信長の中国方面司令官であった羽柴秀吉に託していました。


 秀吉は無事、家督を八郎に継がせると、後見人となり元服の時には自分の一字を与えて秀家と名乗らせました。また、前田家から養女にもらっていたお豪を秀家の嫁として、姻戚関係を結びます。こうして、宇喜田家は太閤秀吉の身内大名としての地位を固め、秀家は備前宰相と呼ばれるまでに出世しました。


 この背景には、直家との約束もありましたが、秀家の母親、お福の方の存在が大きかったと思われます。


 お福の方は絶世の美女とうたわれた女性で、直家が沼城にいる頃に後妻として迎えられ、八郎を産みました。直家の死後は秀吉の寵愛を受け、このことが八郎秀家の出世に大きく貢献したと思われます。


 この秀家の代になって、現在の岡山城の原型ができました。秀吉の命令で、身内大名に相応しい豪壮な城造りが行われたのです。その大きさは代々の改修を重ねた結果、南北3・5キロ、東西1・3キロにも及びます。また、本丸だけで下の段、中の段、本段に分かれており、現在整備されているのは本丸跡にすぎません。


 前述の通り、当時は石山に本丸があり(現在の二の丸)、そこを改修にあたって本丸にする予定だったのですが、秀吉の提案で少し東に奥まった現在の場所、岡山と呼ばれた丘にしたそうです。これが岡山の地名の由来となりました。本丸を東に移したのは、西の雄、毛利家やその他の西国大名への抑えとして、防御を強固にするためだったのでしょう。


 築城にあたっては、現在より東に流れていた旭川の流れを付け替えました。岡山は石山よりも低かったため防御を固める必要があり、掘った土を本丸に盛り旭川の流れを掘った後に流し込んだものです。


 普請奉行には数学、築城術に優れた中村次郎兵衛が任命されました。前田家から豪姫について来た侍で、上方の技術を身に付けていたことから抜擢されました。因みにこの人、この後宇喜田家の旧臣から恨みをかい、前田家に遁走する羽目になります。


 天守閣は初期の心柱のない工法で築かれた前期望楼型天守です。望楼型というのは、土台となる最下層の屋敷の上に、望楼をちょこんと載せる方式ですね。石垣の形がいびつだと1階の形もいびつになるため、まず低い御殿を建てた上で、望楼を上に載せる方式にせざるを得ないそうです。


 その話の通り、最下層は全国的に珍しい不等辺五角形となっています。安土城の不等辺八角形の天守を真似て作られたという伝承もあるそうです。


 これに対し建築技術が進むと、上にいくに従って4辺を均等に逓減させる層塔型という方式が登場します。石垣を正方形にきちんと積む技術が出来上がったことによるものだそうで、こちらの方が簡単な構造で造るのにも時間がかからないそうです。これは1600年以後の築城ブームを下支えする技術でした。


 天守閣の横にある付櫓は、宇喜田秀家が朝鮮出兵の折に、なかなか落ちなかった城の中に食料庫があったことを知って、これを真似て付けたものと言われています。





 城は、関ヶ原で宇喜田家が敗北した後、小早川秀秋を経て、姫路城主池田輝政の息子へと継がれます。


 岡山城では、歴代の城主が改修を重ねたため、宇喜田時代の自然石を使って積む野面積み(天守閣の土台の石垣)の他、切込接(きりこみはぎ)と呼ばれる石に切込みを入れて割って形を整えてから積む方式など、3種類の石垣を見る事ができます。


宇喜田時代の本丸石垣 野面積みである

本丸下の野面積


小早川時代の石垣 大納戸櫓跡の下

大納戸櫓跡


 本丸中の段北部の下の石垣は、池田忠雄(ただかつ)期のもので一番新しく、切込接で端を算木積(長方形の石を交互に組んで積み上げる方式)にしてあり、反りがあります。多くの方が見慣れている石垣の形でしょう。


本丸中の段の北にある廊下門付近の石垣

廊下門
門の左側の石垣が算木積になっている


 また、本丸中の段からは宇喜田時代の石垣が出土しており、当初の曲輪を後の藩主、池田忠雄(ただかつ)が北の方へ拡張したことが分かっています。


出土した宇喜田時代の石垣

出土石垣


 岡山城はその黒い容姿から「烏城(うじょう)」、或いは、金箔押しの瓦、鯱を有していたことから「金烏城」とも呼ばれています。「烏」はカラスのことですね。え、イメージが悪いですか(笑)?


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2006/05/11(木) 17:45 | URL | sagami #JalddpaA[ 編集]
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