章之進
「まずは絵図を描かせましたゆえ、これをご覧下さりませ。」

彦右衛門
「うむ、巨大な城郭が出来上がったのう。では早速巡回を致してみるか!」
章之進
「御意!なんちて!」
義左衛門
「まず、三の丸大手口横の通称・肥後堀にござりまする。武士達の住む三の丸と商人の住む外曲輪を隔てる堀にござりまするぞ。」
章之進
「あ、ちょっと拙者、トイレに行きたくなってござる。早速、あの櫓の壁に向かってと……ジョロジョロ。」
彦右衛門
「ああ!臭い付けしおった!負けとられるか!ここは拙者の城じゃい!……ジョロジョロ。」
幸之助
「せっかく出来たばかりなのに、冗談ではないダニ!もうこの櫓は便所専用に致すダニ!せっかくの櫓なのに、壁に小便をかけるとは言語道断なんダニ!」
彦右衛門・章之進
「いやぁ、端っこにつつましく建っておるからついつい。済まぬのう、こりゃこりゃ。」
俊丸
「反省の色がないデブ。」


長さ300メートル、幅20〜25メートルの規模を持つ。現在、堀の向こう側には市役所が建つ。上の写真の櫓は現在、公衆便所になっている。唐津城築城には九州諸大名の協力を得ており、肥後堀の名前も恐らく肥後の国の協力で出来たことに因むのであろう。
義左衛門
「次は三の丸の東南端を防御する辰巳櫓でござりまする。」


三の丸東南端に構えられ、見張りや防御の機能を果たす。江戸時代初期、正保年間の絵図に描かれており、築城当時から存在したことがうかがえると言う。明治の廃藩置県後に解体。平成3年に石垣を修復し、平成4年に新築復元。
幸之助
「続いて、三の丸内に時の太鼓櫓を置いてみたダニ。日常の刻を告げて、城下の人々のお役に立つダニ。」
俊丸
「でも、太鼓を打つのが章之進殿だと、毎回毎回遅れた時刻を知らされそうデブ。」
章之進
「う、うるさいやい!」
幸之助
「大丈夫なんダニ。これはカラクリ時計にて、勝手に時刻を報せてくれるんダニ。」
彦右衛門
「おお、まさにでっかい『江戸の刻
』ではないか!」
幸之助
「そうダニ。午前七時から午後七時までの毎正時、太鼓の音と共に武士人形と太鼓がせり出して時刻を報せてくれるダニ。」

代々の唐津藩絵図によると、4代目に唐津を治めた土井氏の時に時鐘がここに置かれたのが始まりという。以後、呼び名や場所を変えたが、時刻を報せる櫓が置かれていたようである。
義左衛門
「それでは、唐津城本丸の方へ向かいましょう。」

彦右衛門
「これは綺麗な城に仕上がったのう。大満足じゃ!」
義左衛門
「こちらが本丸の南にある船入門、水手門でござりまする。いずれも船をつけて城内に入るようにしてござりまする。」
彦右衛門
「水運を生かした造りじゃのう。こうなると、そろそろ海賊衆当たりと手を組みたいところじゃが。」
義左衛門
「水軍は元々、自由を好む気風にござりますれば、手なずけるのは相当に難しかろうと存じまする。この近辺にも松浦水軍がおりますがのう。我が軍に取り込むのは不可能かと。」
彦右衛門
「仲良うするくらいしかできぬか。まあよいわ、いずれまた水軍統率の方法も見えてこよう。」

船入門も水手門も再現されてはいないが、藩主の参勤交代の際の出入り、御蔵への物品納入の出入りなどに使われた。
義左衛門
「右手に行けば、腰曲輪にござりまする。海上からの攻撃はここで防ぎまする。また、本丸の搦め手にも通じておりまするぞ。」


腰曲輪のある本丸南部には現在、民家が建ち並んでおり、静かな通りとなっている。腰曲輪の東部は城跡として整備されており、櫓が1つ建っている。
番兵
「彦右衛門殿、御登城にござりまするぅ!」
彦右衛門
「うおっ、びっくりしたぁ!いやいや、ご苦労さんです。」


彦右衛門
「大手虎口の枡形も堅固極まりないのう。これなら大軍に囲まれても、相当の期間持ちこたえられよう。」
義左衛門
「では二の曲輪を抜けて本丸へ至る櫓門の方へ参りましょう。」
章之進
「こりゃまた見事な櫓門ですな。そういや、唐津は陶芸も盛んだそうですぞ。ここをお茶室にでも改造してしまいましょう!」
幸之助
「章之進はいつも遊ぶ方にばかり神経が集中しているダニ!」
章之進
「な、な、な、何を言うか!殺伐とした戦国の世には、一服の茶などたてて風流の道を取り込まねば、平和は訪れんぞ!」
俊丸
「とても立派な考えデブが、言う人間が悪いデブ!」
章之進
「やかましゃぁ!この素デブが!酸っぱい臭いさせながら人の悪口を言うんじゃない!」
彦右衛門
「コラコラ、喧嘩はよさぬか。確かに、章之進の申すことも一理あるのう。茶室にしとけ!」
近侍
「ははッ!直ちに!」



昭和41年に天守と共に建てられた模擬櫓門。現在はお茶室になっており、申し込めば利用できる。
義左衛門
「本丸北側には搦め手門も設けましてござりまする。緊急時にはここから脱出できましょう。」

義左衛門
「それでは、いよいよ天守閣に登ってみましょうぞ!」

彦右衛門
「おお、絶景かな、絶景かな!」

虹の松原は日本三大松原の1つであり、文禄2年(1593)に寺沢広高が防風のために黒松を植えたのが始まりという。以後、南側の新田開発などが行われ、城下が発展していった。



彦右衛門
「いや、真に良い城じゃ。特にこの城を中心に東西に広がる砂浜と松原は素晴らしいぞ。」
義左衛門
「それゆえ、唐津城は舞鶴城とも呼ばれてござりまする。この天守を鶴の頭に、砂浜と松原を鶴の両翼に見立てたのでござりましょう。」
章之進
「良き名にござりまするな。」
彦右衛門
「大仕事が終わったゆえ、しばしこの城でゆるりと致そうぞ。」
章之進
「ばんざーい!それっ海水浴じゃ!」
幸之助
「ああ、待つダニ!拙者も行くダニよ!」
俊丸
「拙者は茶室で茶菓子を喰らうデブ!」
義左衛門
「行ってしもうた……それでは彦右衛門様、次の戦略目標を協議しましょう!って、あら城主もどっか行っとるッ!やれやれ……。」
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