日本の城  日本の城一乗谷館 越前 十二の五
日本の城を写真にて攻め撮るのでござる。おかしな物語と共にいざゆかん戦国無双の城撮り名人の道!
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日本の城を攻め撮れ!ー城撮り物語ー

<一乗谷館と一乗谷城>



 一乗谷の城下町は、福井市街の東南約10キロに位置する谷間にあります。戦国時代、朝倉氏の居館として103年に渡る栄華の中心となりました。最盛期には1万3千人の人々が暮していたといいます。


 朝倉氏は兵庫県養父郡の豪族で、ここ一乗谷の初代、孝景が応仁の乱(1467~1477)で文明3年(1471)に西軍から東軍に寝返り、この地に居城を移したと言われています。


 以後、2代の氏景のときまで、主家である越前守護、斯波氏や守護代の甲斐氏との抗争を繰り返し、3代の貞景が永正3年(1506)の加賀一向一揆を撃退したことで越前一国の支配権を固めました。


 この2代氏景の弟が、名将として名高く朝倉氏の中興を支えた朝倉教景(宗滴)です。


 4代孝景の時代には、近江、美濃へも出兵し、戦乱で荒れ果てた京や奈良の公家、僧侶が下向してくるのを庇護しました。


 こうして北陸や畿内の重要拠点を抑え繁栄を極めた朝倉氏でしたが、5代義景に至り名将朝倉宗滴も逝去してから陰りが見え始めます。


 義景は将軍足利義昭を迎えるも、上洛をせずに織田信長の許へ逃げ去られます。


 織田信長はその後、足利義昭を奉じて上洛。勢力を増す織田氏と朝倉氏は次第に険悪になっていき、元亀元年(1570)、姉川の戦いで激突します。


 朝倉氏は朝倉景健を総大将として、近江の浅井氏と連合して、織田・徳川連合軍と対峙しました。なぜか当主の朝倉義景は出陣していません。


 この姉川の戦いで徳川軍と戦った朝倉勢は、徳川方の榊原康政に横槍を入れられ、崩れたって完敗。鬼真柄と呼ばれた勇士・真柄直隆などの武将を失いました。





 朝倉氏はその後、義景自ら出陣したり、比叡山延暦寺と連携したりすることによって、織田方を脅かします。


 しかし、織田方の調略により家臣の前波吉継(まえばよしつぐ)が離反。天正元年(1573)には、織田信長の近江侵攻に対し、同盟相手の浅井氏を救援にいこうとしますが、重臣の朝倉景鏡、魚住景固に出陣を拒否されます。


 悲壮な覚悟で2万の兵を率いて出陣した義景でしたが、この間にも織田方の調略の手が伸び、浅井氏の武将が離反。北近江で朝倉氏の前線基地となっていた大嶽城・丁野城も織田方の猛攻で落とされてしまいます。


 これを見た朝倉軍は意気消沈し撤退を開始します。しかし、織田軍はこの機を逃さず追撃を開始。刀根坂で朝倉軍に追いつき、逃げる朝倉軍と激戦が展開されました。この刀根坂の戦いで朝倉軍は3千人の兵を討ち取られ、名のある武将も次々と討死を遂げました。この時、信長に美濃を追われ、朝倉家に身を寄せていた斉藤龍興も討死しています。





 命からがら一乗谷に逃げ延びた義景でしたが、切腹を押しとどめ再起を図ろうとの朝倉景鏡の勧めで、その領地・大野に母親の光徳院、愛妻の小少将、愛息の愛王丸と共に落ち延びました。


 こうして主を失った一乗谷は、住民達も我先にと逃げ出し廃墟となりました。織田軍は朝倉氏を殲滅すべく、無人と化した一乗谷へ派兵し火を放って焼き払いました。火は三日三晩に渡って燃え続けたといいます。


 現在の一乗谷朝倉氏遺跡はこの後、400年以上もそっくり埋もれてきた戦国時代の城下町を発掘、整備しています。一乗谷を中心に2キロ四方くらいの規模を特別史跡に指定し、現在も発掘が進められています。





 大野に逃げ延びた義景でしたが、肝心の朝倉景鏡が変心して逆に200の兵を持って義景の居所、六坊賢松寺を囲みます。


 命運の尽きたことを悟った義景は、もはやこれまでと自刃しました。享年41歳。


 辞世、「七転八倒 四十年中 無他無目 四大本空」


 この時、愛王丸や小少将、光徳院は捕らわれの身となりました。


 義景自刃の後、朝倉景鏡は義景の首を差し出し信長に降伏。朝倉景健を始めとする朝倉氏の一族と重臣の多くもこれに習い、信長は越前一国を掌中に収めました。


 また、愛王丸 、小少将、光徳院は信長の命令で処刑されました。ここに朝倉本家の血筋は途絶え、朝倉氏は滅亡の憂き目を見ることとなったのです。





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コメント
この記事へのコメント
ご来訪感謝します。
 こんにちは。
 戦国武将日記の橘です。
 この度は、拙ブログに暖かいコメントを下さり、感謝致します。
 私も年に一度のペースではありますが、城を見に出かけています。
 また寄らせて頂きます。

 因みに、私の同盟枠はまだ空いております。
 ご一行の程をお願いします。
2006/06/15(木) 12:06 | URL | 橘 昌幸 #-[ 編集]
橘昌幸殿へ
波乗り中に面白い企画に出会えて、こちらも参考になり申した。
同盟のお申し出、ありがたく承りたく存じます。されば、まずは右枠に同盟表示を致し、物語の中にて紹介させて頂く所存。今後ともよろしくお願い致し申す。
          彦右衛門 花押
2006/06/15(木) 22:12 | URL | 彦右衛門 #-[ 編集]
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