危機に陥った彦右衛門勢を助けに来たのは、馬鹿でかい船に乗った十枡だった。逃げて来る彦右衛門勢の小舟を吸収しつつ、十枡の大艦隊はゆっくりと戦場に進んできた。
彦右衛門
「な、な、な、何じゃこりゃ〜!(松田優作風に)」
章之進
「げぇ、何て馬鹿でかい船!」
幸之助
「化け物ダニ!」

十枡
「くろ〜ずゆああ〜いず、瞳を閉じれ〜ば〜♪フンフンフンフン〜♪(長渕剛の真似をしながら)」
章之進
「残りの歌詞知らんのか〜い!」
十枡
「ようやく完成したんだナ。ささっ、彦右衛門様こちらへ。御家来衆も上がってくるんだナ。」
彦右衛門
「あの〜、助けに来てくれたのは嬉しいんすけど、この船は一体?」
十枡
「な、なんて質問なんだナ!ここは日本!日本の軍艦と言えば『大和』しかないんだナ!」
彦右衛門
「いや、あの、そういう意味ではなくて、ここは戦国時代で……。」
十枡
「さあ、村上水軍を蹴散らすんだナ!主砲46センチ砲発射準備!」

彦右衛門
「あの〜、だからここは戦国で………。」
砲術長
「主砲発射準備よ〜し!」
十枡
「全艦隊10時方向へ転舵、主砲発射の後、全砲門一斉射撃!目標、2時の方向村上水軍!但し、船には当てず、ビビらせて退却させるんだナ!」
操舵士
「ヨ〜ソロ〜!」
彦右衛門
「いや、あの〜、だからここは戦国でこの船はちょっと……。」
十枡
「発射なんだナ!」
砲術長
「発射!」
チュド〜ン、ドン、ドン!
ヒュルルルル、ドッポーン、ドッポーン!!
水兵
「今じゃ!てぇー!」



ダダダダダダダダ!!
ピュンピュンピュンピュン!!
村上吉充
「ぬおおおお!何たる巨大な船!しかも、あの大筒はなんじゃ!見たこともないぞ!」
田坂義英
「兵が怖じ気づいておりまするぞ!」
村上吉充
「くそっ!一旦、因島に退却じゃ!能島の村上武吉に援軍要請の早船を出せ!彦右衛門めの水軍を侮っておったわ!」
十枡
「退却していくんだナ!すぐに追い打ちをかけて一気に攻め撮ろうヨ!」
章之進
「よし、さすが十枡じゃ。拙者は最初から信じておったぞ!」
幸之助
「なんて身代わりの早さなんダニ。あきれてモノも言えんダニ。」
義左衛門
「まあまあ、そんなことよりこの好機を逃してはなりませぬ。このまま因島へ攻め入りましょう!」
彦右衛門
「よし、全軍進め!」
こうして十枡の援軍により、水上戦において村上水軍を蹴散らした彦右衛門軍は、因島へと駒を進めたのであった………続く。
<大和>
大日本帝国海軍の誇った超弩級戦艦。弩とはイギリスの戦艦・ドレッドノートのことで、その基準を超える巨大戦艦を超弩級と呼ぶ。規模は以下の通り。
基準排水量 65000トン
全長 263メートル
全幅 38・9メートル
最大速力 27・46ノット
乗員 3300名
当時の最新技術を駆使して建造され、その技術は戦後日本の造船技術を影で支えたともいえる。主砲の46センチ砲は、全長1・98メートル、重量1・46トンの砲弾を最大射程42キロまで飛ばすことができた。
しかし、戦争は既に航空機の時代に突入しており、大和も時代遅れの大艦巨砲主義の象徴となってしまった。実際、大した戦歴もないまま1945年4月7日、菊水作戦により沖縄に特攻を命じられる。その途上、鹿児島県坊ノ岬沖にて米軍航空隊386機の波状攻撃を受け大爆発し、乗員2498名と共に沈没。生存者は僅か276名。
その様子を描いた、映画「男たちの大和」では監督の意向で、実物大のロケセットが広島県尾道市の向島、旧日立造船所跡地に造られた。
残念ながら艦橋と船体の一部はないが、行った人にはその巨大さが実感できたであろう。現在は公開も終わっている。広島県呉市の大和ミュージアムに行けば、海に向かって細長い公園があり、そこで大和の前方左半分の大きさが分かるようになっている。
非常に美しい軍艦であり、その悲劇的な最期と相俟って、全然役に立ってないにも関わらず(役に立たなかったから?)、現在でも人気が高い戦艦である。イギリスの知人に大和の絵はがきを送ったら、「Fine ship」だと言ってもらえた。日本的なるモノの美を認めてもらえたようで、ちょっと嬉しかった。
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)




