彦右衛門
「さてと、論功行賞に入るかのう。」
章之進
「はいは〜い!拙者、笹部勘斎の子息・仙千代を討ち撮りましたぁ!!」
義左衛門
「え?仙千代って、どらどら、あれ?子供じゃないか!」
俊丸
「章之進殿、子供を討ち撮られたのデブか?」
幸之助
「ちょっとやりすぎなんダニ!」
章之進を一同の白い視線が突き刺す………
章之進
「う、つ、冷たい視線………申し訳ござらぬ。このような無慈悲な行いは、もうせんぢょ!」
更に、冷たい視線………
章之進
「う、………ほ、ほら、仙千代だけにせんちょ!ってね。それに写真で撮っただけだから、ね、ね。ほら、この通りピンピンしてるし……。」
仙千代
「しくしく………御写真怖い……。」
彦右衛門
無視しつつ、
「それで笹部勘斎を討ち撮ったのは、義左衛門じゃな。茶臼山城の方では、サボってくれよったが、こちらでは十分借りを返してくれる働きであった。」
義左衛門
「拙者も物語を面白くするため、大変でござるのよ。」
幸之助
「まあ、そういうことにしておくんダニ。」
章之進
「笹部勘斎を討ち撮って、借りを完済!って事で、めでたしめでたし。」
一同
「お前、懲りてないやろが〜い!」
<大仙山城>
茶臼山城の北西にある山城。昔は茶臼山城が本丸で、二の丸と大仙山城が本丸を守るための出丸であったと考えられていた。
しかし、近年の調査で大仙山城の規模の方が巨大で、水の手の整備も行き届いていることが判明した。現在では、大仙山城が本丸で、二の丸、茶臼山城がその出丸という見解が有力である。
この他、そもそも二つの城は別々の城であったという見解もある。
実際に歩いてみると、別々の城という見解には疑問を感じる。距離的にも非常に近いし、尾根伝いに割と簡単に移動が可能だからである。
本文中で縄張り図を示したが、読者の皆さんはこの図をみて、どのように考えられるかな。今一度、写真を拡大して、また、その他の写真も見て想像して頂きたい。
物語の中でも書いたが、大仙山城の方は整備されておらず、鬱蒼と木が茂っている。切り払えば、一大城塞が現れるであろう。町の公園にでもできそうである。
余談だが、ここら一帯は「つちのこ」発見現場として宣伝中である。茶臼山城本丸には、つちのこせんべいなるものも売っている。高額の懸賞金も出しているので、興味のある方は是非、訪れて捜索して頂きたい(笑)。
一方、こちらは本丸内、
笹部勘斎
「む、い、いかん!大軍で一気にきよった!仙千代はおるか?」
仙千代
「はい、父上様、ここに!」
笹部勘斎
「この城はもう持たぬ。お前は城を落ちて生き延びよ。笹部家を継いで必ずや再興を果たせ!」
仙千代
「嫌でござります。ここで父上と共に戦って死にとうござります。」
笹部勘斎
「聞き分けよ!仙千代!これ、誰か仙千代を連れて落ち延びてくれい!」
周りの侍
「ははッ!」
こうして仙千代は一の谷を目指して落ちていくこととなった。しかし、これを目ざとく見つけた者がいた。
章之進
「おお、あれに城を落ちていく者がおるぞ!討ち撮って手柄に致してくれん!それ、我が手勢はあの落ち武者共を追うのじゃ!堅そうな本丸なんぞは、彦右衛門様に任せておけばよい!」
章之進手勢
「ははッ!」
章之進隊は逃げる仙千代を追って、城の裏手、一の谷へと入った。
章之進
「お、みい〜つけた!バァ!城方の者とお見受け致した。御写真頂戴仕る!」
仙千代
「ああ、父上ぇ!」
パシャッ!
章之進
「よっしゃ討ち撮ったりぃ!」
章之進勢の侍
「ガキには容赦ありませんね……。」
一方、こちら本丸では笹部軍の最後の抵抗が続いていた。
義左衛門
「お、あれに見ゆるは笹部勘斎か!笹部勘斎殿とお見受け致した!拙者は彦右衛門軍の軍師、義左衛門!御写真頂戴仕る!」
笹部勘斎
「もはやこれまでか!うおおおお!」
パシャッタ!
義左衛門
「笹部勘斎討ち撮ったりぃ!」
彦右衛門
「勝鬨をあげよ!」
彦右衛門勢
「エイエイオー!」

50メートル四方はゆうにある。現在は木が鬱蒼と茂っている。この回りに複数の曲輪が散見される。城郭規模は茶臼山城とは比べ物にならないくらい大きい。

彦右衛門
「続いて、大仙山城も攻め撮る!先手はもちろん、義左衛門に決まっておるわな。」
一同
うなずいて、
「うんうん!」
義左衛門
「すっかたなかんべな。」
章之進
「なんで、田舎の農夫になっとるんですか!」
義左衛門
「いや、勘弁してもらえるかなと……。」
彦右衛門
「軍師殿、さっさといかんか〜い!ほれ、これが縄張りじゃ。」

義左衛門
「では、早速攻め撮りを開始致す!義左衛門隊は続けぃ!茶臼山城の二の丸から尾根伝いに攻撃を開始する!!」
彦右衛門
「義左衛門を援護するぞ。弓隊、鉄砲隊は前へ。足軽隊は義左衛門勢に続けぃ!」
彦右衛門勢
「オオーーッ!」

看板の手前を左に折れれば、道なき道を大仙山城に進むことができる。全くもって整備されていないので、コンパス、鉈があると便利(笑)。
義左衛門
「ぬ、なんたる山城!こちらの方が大きいではないか!こりゃえらいことになったぞ。」
幸之助
「軍師!我が鉄砲隊にて斉射を致す故、敵がひるんだ隙に取りかかるダニ!なぁに、既に敗軍なれば、意気も消沈しておるダニ。一当て致せば、城を捨てて逃げ出すダニ!」
義左衛門
「おお、かたじけない!されば、そのように致そうぞ!」
ズダダーンッ!!
義左衛門
「それ今じゃ!かかれ、かかれい!」


左側が東になり、敵を防ぐ空堀と土塁がある。右側の傾斜の上は曲輪になっている。傾斜は急で、とても固そう……。


水が溜まっており、井戸跡と思われる。茶臼山城のものより巨大であり、このことからも大仙山城が中心となる城であったことが伺われる。
義左衛門
「よし、水の手も撮ったぞ!笹部勘斎殿!もはやこの城は落ちたも同然!大人しく降伏されよ!」
笹部勘斎
「ふん!水の手を撮ったくらいでいい気になるなよ!この城はまだまだ落ちんぞ!」
義左衛門
「されば致し方なし!それ、本丸へなだれ込むのじゃ!」
彦右衛門
「義左衛門を援護致せ!全軍突撃開始じゃ!」
彦右衛門勢
「オオーーーッ!!」
<茶臼山城(周匝城)>
享禄・天文年間(1532〜1555)の初め頃、安芸から来た笹部勘解由(亦次郎)が、標高172メートル、比高110メートルの茶臼山の頂上に築城したという。笹部氏は浦上家に服属していた。浦上家の勢力拡大に伴い、その傘下に入ったものと考えられる。
しかし、天正5年(1577)、主家の浦上宗景が宇喜多直家の下克上により、天神山城を追われてから風向きが変わる。笹部氏はこの時、勘解由の息子・勘斎貞利の代になっていた。
宇喜田直家は天神山城を攻略後、延原弾正景能を大将として茶臼山城にも攻め寄せた。しかし、城兵はよく防戦しこれを撃退した。
美作併呑を目論む宇喜田直家に対し、浦上宗景に服属していた美作及び備前北東の豪族達は、三星城の後藤勝基を盟主として反宇喜田連合軍を形成。笹部勘斎もこの連合軍に加わった。しかし、これが運の尽きとなってしまった。
天神山城落城後2年が経ち、天正7年(1579)2月、直家は延原弾正景能を総大将とし、勇将・花房助兵衛職之を付けて美作東部討伐の兵を出した。そして、最前線に位置する茶臼山城は、真っ先に宇喜田軍の攻撃を受けることとなった。
宇喜田の大軍を受け、城兵はよく戦ったが多勢に無勢、城は落ち勘斎は討死。勘斎の息子・仙千代も城の裏手、一の谷にて討たれた。
なお、笹部氏の出自については、亦次郎を勘次郎・勘斎とする説もあり、詳細は明らかではない。
茶臼山城は浦上氏の天神山城の上流7、8キロの地点に位置し、美作を流れる吉野川と吉井川の合流地点にある。そのため、美作北部からの水運を押さえることができ、天神山城の防衛戦略上重要な位置を占めていたと思われる。

この戦略上の重要性から、ここ周匝の地には、江戸時代に入って備前池田藩となってから、一族の池田伊賀守長明が2万2千石で陣屋を構えることとなった。

以後、周匝池田家として、備前池田藩の家老職を勤め、11代を数えて明治維新を迎えた。
吉井川を挟んで川向こうの北側には、鷲山城がある。また、北西には大仙山城がある。大仙山城とは尾根続きであり、築城年代は大仙山城の方が古い。また、大仙山城の方が圧倒的に規模が大きいことから、茶臼山城は元々、南東の防備を固めるための出城であった可能性が高い。
本来、浦上家に服属していた頃は、北の尼子氏に備える必要があったのであり、大仙山城はその役割を果たしていたのであろう。しかし、時代が下って南の宇喜田氏に備える必要が生じ、そこから出城であった茶臼山の重要性が飛躍的に増したものと考えられる。

現在、茶臼山城は城山公園として整備され、素晴らしい眺めを楽しむことができる。
彦右衛門
「あちらが二の丸か!息をつかせずすぐに攻めかかれ!」
彦右衛門勢
「おおーー!」

笹部勘斎
「いかん!兵を立て直す余裕もないわ!」
笹部軍の兵
「勘斎様!二の丸の背後より迫ってくる兵がおりまする。」
こちらは、義左衛門の別働隊
義左衛門
「ふわぁ、よう休んだのう。おお、やっと本丸も落ちたか。さすがは我が軍じゃ。そろそろ我々の出番じゃのう。これより遅れを取り戻すため二の丸に攻め込むぞ!」
笹部勘斎
「いかん!南北に大軍を受けては、この孤塁を守り抜くのは不可能じゃ。ここは尾根づたいに北東の大仙山城に引くのじゃ!茶臼山城は元々、出城にすぎぬ。大仙山城にて徹底抗戦を致そうぞ!」
こうして、笹部軍は大仙山城へと撤退していった。
義左衛門
「む、笹部軍が引き揚げていくぞ。今じゃ、二の丸を攻め撮れ!」
義左衛門勢
「おおーー!」

彦右衛門
「おお、義左衛門!ご苦労であった!」
義左衛門
「こちらこそ、道に迷う大失態にて攻撃が遅れたる事、面目ござりませぬ。」
彦右衛門
「構わぬ。これより兵を北西に向け、大仙山城を攻略致す!」
章之進
「ちょっと待ったぁ!義左衛門殿さぁ、また一番楽なとこだけ攻めてなぁい?」
義左衛門
ギクッ!
「な、何を申しておるか!我が手の者は、迂回して二の丸を攻めたために、道に迷うて………。」
通りがかりの義左衛門の兵
「いや〜、本丸落ちてから攻めろとの命令だったので、今回も楽じゃったのう。」
別の兵
「おお、全くじゃ!二の丸から兵がおらんなってからじゃからのう。そりゃもう簡単なもんよ。我が主の知恵は神の如しじゃのう!わっはっは!」
義左衛門
「…………もごもご。いやな、笹部勘斎を二の丸に引き揚げさせ、大仙山城の方に落ち延びさせると、物語も面白くなるかなと……てへっ!」
一同の白い視線が義左衛門に厳しく突き刺さるのであった………。




