彦右衛門
「それ、お次は城主の居館を攻め撮るのじゃ。」





岐阜城のある金華山の西麓には、織田信長の居館跡が残っている。戦国大名に相応しい豪壮な石垣の跡も残り、往時を偲ばせる。信長時代には山頂の天守閣の他、山麓の居館も高層の建物で構成されていた。下は、信長時代の岐阜城の様子。

義左衛門
「さすがは北から西に長良川、南に木曽川、さらに西に揖斐川を抑え、南には広大な濃尾平野をにらむ要衝。繁栄振りも一筋縄ではありませんな。ここを撮れば、いよいよ天下も見えてくると申すもの。」
彦右衛門
「城主の龍興は、既に山頂に逃げ失せたか。」
章之進
「では、すぐに攻め立てましょう!」
彦右衛門
「よ〜し、まずは周辺の地図で、この辺りの地形を確認じゃ。」
義左衛門
「城の西麓が城下町のようですな。」
彦右衛門
「それ、まずは岐阜の町を攻め撮れ!」
幸之助
「心得たダニ!」



岐阜城の西麓、岐阜公園内にある歴史博物館はお勧め。同公園内から岐阜城本丸のある金華山山頂に向けてロープウェーも運行されている。また、同公園内には織田信長居館跡も整備されている。
章之進
「ごめんよ〜、邪魔するでぇ〜。」
町人
「邪魔するんやったら帰ってぇ〜。」
章之進
「あいよ〜。」
義左衛門
「う〜ん、ベタベタな吉本新喜劇のネタですな。章之進め、腕をあげおって。」
彦右衛門
「…………………。」
章之進
「またまた長期間のご無沙汰でしたな。」
彦右衛門
「仕方なかろう。こっちだって忙しいんだから。で、どこからだっけ?」
義左衛門
「斎藤道三殿の居城・鷺山城へ向かうところからです。」
彦右衛門
「よっしゃ、行くぞ!」

写真中央を流れる川が、道三と義龍が激突した長良川。稲葉山城(岐阜城)の北(写真右手)から西(写真正面)を周り、南(写真左手)に向かって流れている。その奥、真ん中やや上寄りのこんもりとした緑の小山が鷺山城跡で、道三の隠居城であった。
俊丸
「報告デ〜ブ!斎藤道三殿、長良川にて義龍の軍勢と激突し、あえない御最期!」
彦右衛門
「何ぃ、間に合わなかったかッ!」
章之進
「って、そりゃあんた、3ヶ月も更新をさぼったら間に合わんわな。」
彦右衛門
「いや、そういう事情は関係ないから。」
俊丸
「もう1つ報告デブ。義龍も病により死亡したようデブ。」
彦右衛門
「ほらみろ、えっへん、さぼったから強敵がいなくなったじゃないか。」
章之進
「雑な話の進め方ですな。」
彦右衛門
「う、うるしゃい。身長が2メートルに達するような化け物武将なんか、相手にしておられるか!」
義左衛門
「ともあれ、跡継ぎの龍興は当主の器ではないようです。一気に城を囲み、裏道から別働隊を忍ばせ落としましょう。」
彦右衛門
「よし、ものども、かかれ!」
彦右衛門
「さあて、久しぶりの城攻めじゃ!」
章之進
「つ〜か、あ〜た、散々休みまくって、こっちは暇で暇で仕方なかったっすよ。」
彦右衛門
「そういうなって。こっちにだって都合ってもんがあるんじゃい!」
章之進
「逆ギレっすか!?」
義左衛門
「まあまあ、今回の城攻めは美濃の国、稲葉山城でござる。」
章之進
「やだッ!拙者でも知っておる天下の名城ではないですか。それに、マムシと呼ばれる知恵者が治めておるとか。なんでそんなエグイところに。」
義左衛門
「いや、やだって言われてもね、もう決めちゃったから。それに、そのマムシこと斎藤道三殿から、嫡男の義龍を攻めるための加勢を請われておるのじゃ。」
章之進
「なんでこんな遠い場所から加勢せなあかんのですか?」
義左衛門
「それは、そうしないと企画が前に進まないからじゃな。」
彦右衛門
「ということで、さっさと行くぞ!」

章之進
「着いた!いや〜、新幹線N700系って聞きしに勝る乗り心地っすね。岐阜には停車しないのが痛いですけど。」
彦右衛門
「おいおい、随分な感想を言うてくれるやんけ!城に対する感想はないんかい!」
章之進
「城、城と…………高ッ!!あんなところ攻め撮れませんよ。帰りましょう。」
彦右衛門
「待たんか〜い!まずは状況説明じゃ。」
義左衛門
「はッ、稲葉山城は今回加勢を請われた斎藤道三殿から、嫡男の斎藤義龍へ譲り渡されております。しかし、両者の仲が険悪になっておる様子。今回は斎藤道三殿に御味方し、共に稲葉山城を落とそうという算段にござりまする。なお、敵将・斎藤義龍は剛の者という噂なれば、油断は大敵にござるぞ。」
彦右衛門
「さて、それでは道三殿の城へ入城すると致そう。」
<新庄山城(奈良部城)>
乙子城と沼城の中間点に位置する連郭式の山城。尾根伝いに郭を縦列に配し、先端に堀切を設けているそうである。本丸以外の郭は確認できなかった。
詳しい築城年代は分かっていないが、沼城城主であった中山備中守(宇喜田直家の義父)の家臣、新庄助之進の居城と伝わっており、16世紀前半ではないかと推測されている。現在の姿は宇喜田直家時代に改修されたものとのこと。
浦上宗景の臣として乙子城を与えられた宇喜田直家は、天文18年(1549)、謀反の疑いをかけられた同族の浮田大和守を砥石城に攻め滅ぼした(本文参照)。砥石城はすぐ西隣に領地を持つ高取山城の島村豊後守(直家の祖父を謀殺した人)に与えられ、直家にはここ奈良部城が与えられた。新庄山城というのは、現在の呼び名らしい。
宇喜田直家が沼城から岡山城に移った際に廃城になった。





