日本の城  日本の城
日本の城を写真にて攻め撮るのでござる。おかしな物語と共にいざゆかん戦国無双の城撮り名人の道!
日本の城を攻め撮れ!ー城撮り物語ー

登山口


彦右衛門
「よし、ここが登山口のようじゃの。かかれ!」


山道


途中の山道


章之進
「ぜえぜえ、こっちはなんだか道も狭くて、坂道もきついですぞ。」


彦右衛門
「くそッ!また義左衛門めに騙されたか!じゃが、大した城ではない。見よ、もう本丸がすぐそこじゃ。」


宇喜田直家
「そこにおわすは彦右衛門殿とお見受け致した。我ら最早抵抗の気などござらぬ。降伏を受け入れてもらいたいのじゃが。」


章之進
「あんなこと言ってますよ。願ったり叶ったりではありますが、毒を盛ってくれたこともあるし、迂闊に本丸に入るのもねぇ。」


直家
「お疑いのようであれば、我が子、八郎を人質として差し出すが?」


彦右衛門
「ふむ、では人質が当方に来たる後、本丸にてお会い致そう。」


 こうして、直家の子、八郎が彦右衛門の元へ送られ、彦右衛門勢は本丸に入城した。


本丸跡


本丸跡


 現在は石鉄神社が建っている(写真の建物がそう)。


章之進
「いや〜、来たはいいけど、しけた城ですね〜。」


直家
「う、うるしゃい!誰のせいでこんなところで……ぶつぶつ。」


彦右衛門
「で、降伏するのじゃな?」


直家
「そ、それはもちろんのことにござる。」

(ふん、いずれ隙を見て……。)


彦右衛門
「隙を見てなぞと考えおれば、そちとそちの息子、容赦なく討ち撮ってくれるぞ!」


直家
ギクッ!!

「そんな滅相もない。これからは良き相談相手として、義左衛門殿と同様にお役に立ち申しますぞ。」


彦右衛門
「よし、ではゆるりと城からの眺めを楽しませてもらうとするか。」


北を望む


 本丸から北を望む。平野部を左手に進めば、宇喜多直家飛躍の城、沼城がある。雑木に覆われて見えなかったが、取り払えば見えるであろう。


ハイキングコース


 尾根伝いにハイキングコースがある。そこから新庄山城を見た写真。正面の山が新庄山城。


義左衛門
「おお、どうやら首尾よく降伏させたようじゃな。」


幸之助
「相変わらず、美味しいところは彦右衛門様に与えているように見えて、その実、楽をしまくりなんダニ。お、あれに見えるは、昔落とした乙子城ではないダニか?」


義左衛門
「その通りじゃ。備前南部の穀倉地帯と海上権益は、丸々頂いたということじゃのう。それに、気は許せぬが頼もしい味方も増えたようじゃし。」


乙子城


 ハイキングコースより南を望む。宇喜田直家が、浦上宗景から最初に拝領した乙子城が見える。直家は乙子城から、ここ新庄山城、そして沼城、岡山城へと居城を移し、乱世をのしあがっていった。


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新庄山城



新庄山城を北から望む(周辺地図



彦右衛門
「さてと、あれが新庄山城か。小城の上に、守りも大して固く無さそうじゃのう。」


義左衛門
「左様。直家め、最後の悪あがきといったところでございましょう。ここは1つ、周りを我が大軍で囲み、ジリジリと包囲を狭めて降伏させましょうぞ。」


幸之助
「あやつの悪知恵は、今後使いどころがあるかもしれないんダニ。」


俊丸
「彦右衛門様、付近の地図デブ。」


彦右衛門
「おお、デブのくせにいつもながらに素早い動き!どらどら……。」


ちず



彦右衛門
「こりゃまた、いつになくアバウトな地図で……。」


義左衛門
「どうやら尾根伝いに本丸へ詰め寄れそうですな。我が手の者に回り込ませますゆえ、彦右衛門殿は正面からジリジリと迫られよ。」


彦右衛門
「よし、参るぞ!」







一方、こちらは本丸。


宇喜多直家
「むう、留守を狙って備前を攻略するつもりが、なんたる速い動き。しかも、何時の間にやら斯様な大軍を率いるまでになっておる。」


宇喜田忠家
「兄上、ここは潔く……。」


直家
「いや、彦右衛門めは、これからも覇業を進める気であろう。ならば有能な部下は1人でも多く欲しいはず。本丸へ兵を引け!立て籠った上で、降伏交渉じゃ。」


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義左衛門
「随分とご無沙汰でございましたな。」


彦右衛門
「うむ、なんだかんだでサボってしもうたのう。じゃが、まだまだしつこく細く長く続けていくぞ!」


ドシドシドシ、ドシーン!


俊丸
「彦右衛門様!」


彦右衛門
「ふおお、相変わらずのおデブぶり!で、何じゃいな?」


俊丸
「備前の宇喜田直家めが、またもや不穏な動き!新庄山城にて兵を集めおるようデブ!」


義左衛門
「備前は、しばらく留守にしましたからのう。丁度良い機会にござる。ここで直家を完全撃破致しましょうぞ!」


彦右衛門
「我が軍の兵力は1万5千を優に超えた。直家なぞはものの数ではないわ!すぐに出陣じゃ!」


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彦右衛門
「無事、能島城も攻め撮ったことだし、福山城に帰るとするかのう。」


章之進
撮り忘れた伏見櫓も攻め撮らないとねぇ。」


彦右衛門
「ふん、抜かりはないわ。おら!見ろ、見ろ、見ろ!きちんと撮ってきてやったわい!!」


伏見櫓

伏見櫓を外郭から望む


伏見櫓中から

伏見櫓を本丸から望む


義左衛門
「確かに、美しい櫓でございますな。」


彦右衛門
「そうであろう。ついでに、月見櫓と湯殿櫓も撮ってきたぞ。」


月見櫓

月見櫓を外郭から望む


湯殿櫓外から

湯殿櫓を外郭から望む


湯殿櫓

湯殿櫓を本丸から望む


章之進
「さあ、目出たく遊びに使えそうな櫓がそろったので、当分休養致しますかのう。村上水軍の海上交易権が入り、我が軍の財政もうるおったことですし。」


彦右衛門
「また無駄遣いをしようって腹だな。借金地獄なのじゃから、絶対ダメ!」


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<能島城>


 能島城は大島と鵜島の間にある能島と鯛崎島からなる海城である。能島を本城とし、鯛崎島を出城として、複雑な海流の中に浮かぶ二つの小島を城砦化していた。


 能島は大きく三段に削平され、南と東の突端に出丸状の曲輪が造られていた。面積は能島が7010平方メートル、鯛崎島が337平方メートルで、標高は24・9メートルである。


 能島城跡は現在、桜の名所となっているそうである。


 本拠地は対岸の大島にある宮窪にあり、こちらにも村上水軍ゆかりの史跡が残っている。


 能島城の主である能島村上氏は、南北朝時代から戦国時代にかけて瀬戸内海の海上交通を掌握していた村上一族の1つで、来島・因島の村上氏と強い同族意識で結ばれていた。


 因島村上氏が毛利氏と、来島村上氏が河野氏と結びついたのに対し、能島村上氏は独立性が高く、独自の姿勢を崩さなかった最も海賊衆らしい一族である。


 三家の中でも最強を誇った能島村上氏は、武吉の時に最盛期を迎える。武吉は海上交通の法も制定しており、当時の権力の強大さが分かる。


 村上氏が制定した法の一例が、大島の村上水軍博物館に掲示されていたので紹介する。


1、難破船の資材・荷物は、その船が流れ着いた浦の寺社の修理費用に充てること


2、船同士が沖で衝突したときは、風下の船の乗組員が一人でも風上の船に救出されれば、風上の船の責任は問わないこと


3、船がいつ寄港地から出発するかは、船頭の判断に委ねること





 かの有名なルイス・フロイスもこの能島を訪れていたという。当時の村上水軍の権力の強さを物語る話であろう。


 村上水軍は焙烙火矢など、火薬を用いた戦法を得意としており、織田信長との第一次木津川沖海戦でも織田方の水軍を完膚なきまでに破り、本願寺への兵糧輸送に成功した。


 しかし、第二次木津川沖海戦では、信長の命令により九鬼嘉隆が造った鉄甲船の前に敗北(村上水軍博物館では、この事実は紹介されていなかった)。以後、毛利家は織田家の侵攻を止めることができず、苦しい戦いを強いられた。


 時代は下って、豊臣秀吉の四国平定が完了すると、村上水軍のような自由な海賊衆という存在も許されなくなり、芸予諸島を離れて毛利氏の被官となる。


 周防国(すおうのくに)大島に給地をあてがわれ、三田尻を拠点として毛利藩御船手組の頭領を勤めた。


 江戸時代以降になると、武吉から元吉と景親の二流に分かれ、景親の子孫は現在まで続いている。


 村上水軍博物館には、この景親流の村上氏の子孫の持つ遺物が展示されている。できたてのホヤホヤで、素晴らしい博物館なので是非訪問されたい。


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